見出し画像

ブッダの瞑想法−−10日間の心の手術 2009/09/16〜27[day11]

■9月27日(日)

 16日の夕方にここに来て、11日目。とうとう最終日を迎えることになった。4時過ぎに起きて瞑想ホールに座っていると、しばらくして先生がやって来て、ゴエンカ氏の最後の講話が始まった。

 ほかの人を傷つけない生活をおくること、
 自分の心を制御する力を育むこと、
 汚れから心を解き放ち、
 慈しみと善意を育むことに反対する人はいないでしょう。
 この修行法はだれでもが受けいれることができるものです。
 その恩恵は、理論面を学ぶことによってではなく、
 実践によってこそ得られるのです。

 ここに来た人たちは、ダンマ(法)の種を持っていた人と、ここで初めて種を手にした人に分かれる。いずれにしても、せっかく種を手にしたのだから、大きな木に育ててみよう。種をまけば、やがて芽を出すだろう。幼い苗が動物に食べられないように、まず柵で囲ってたいせつに育てよう。その柵とは、五つの戒律のシーラ(道徳律)である。

 生き物を殺さない
 盗みを働かない
 誤った性的行為を行なわない
 嘘や悪い言葉を使わない
 酒・麻薬の類を摂らない

 苗を狙っている動物は、だれかの批判や何か宗教を信仰している人のことだ。信仰心の高い人に、ヴィパッサナー瞑想をやめるように言われたならば、五つの戒律を守っていることを伝えよう。柵の外側のことは関知しないならば、だれも反対する人はいないだろう。幼い苗木はしっかりと根を張り、幹が太くなり、大きく育っていく。そうなれば、もう世話の必要はない。やがてたくさんの実を結び、また新たな種が生まれるだろう。

 ある資産家が自分の財産を譲り渡すために、4人の娘に5粒ずつの種を渡して「5年間、この種を守った人に財産を譲る」と言い渡した。長女は「そんな意味のないこと」と思って捨ててしまった。次女は「きっと貴重な種に違いない」と食べてしまった。三女はその種をたいせつに保管した。四女は種を畑に蒔き、何百倍の量にして蔵に保管した。結果、種を守るだけでなく、増やした四女に相続されたという。

 もうひとつのたとえ話。フィルニーというインドのお菓子を作った母親が、子どもに食べさせようと思ったら、その子どもは「いらない、食べたくない」と言う。なぜか聞いてみると、いつも使っている自分の食器ではないからだという。母親はおいしいから食べてごらんと言うけれども、子どもは嫌だとだだをこねるばかり。しかたなく、いつもの食器にフィルニーを移し替えて差し出すが、今度は「石ころが入っているから食べない」と泣いてしまった。よく見ると、石ころに見えるのはカルダモンの粒だったのだ。「これは体にいいスパイスだから平気よ」と言い聞かせても、聞く耳を持たない。けっきょく手で振り払って、フィルニーは床にこぼれてしまった。器にこだわっていると、大事な中身を手にすることができない。

 この「器」というのは、「言葉」である。ヴィパッサナー瞑想を修業するときに、さまざまな言葉が現れてきたが、あくまでもそれは体験を補助するためのものであって、絶対的な意味を持っているわけではない。言葉を頭で理解して、そこからイメージしてしまうと、現実との差に悩むことになる。客観的に自らの体を観察して、そこに起こる事実のみを受け入れていくことが大事なのだ。言葉にとらわれてはいけない。
 10日間のコース中、頭で考えたことに対して、体が答えを出してくれることが何度もあった。これまでは、本を読んだり人の話を聞いたりして外から知識を得て、それを自分のものにしてきたわけだが、自分の体から物事を理解していくというアプローチは、初めての経験で非常に刺激的だった。

 世界各地でヴィパッサナー瞑想を指導するゴエンカ氏は、ミャンマーで生まれたが、祖父の代にインドから移り住んでいる。家系は敬虔なヒンドゥー教徒である。実業家の息子として10代から商売を始めて大成功を収めるが、社会的地位や名誉を得た20代になってから心身症を患い、片頭痛に悩まされるようになる。ミャンマー中の名医もこの病気を治すことはできず、モルヒネで痛みを抑えるしかなかった。そのうち嘔吐や精神不安などの副作用が表れ、モルヒネ中毒になってしまう可能性が出てきた。医者は言う
「この病気の治療法は、私の知る限り、外国にもありません。ただ、頭痛を抑える鎮痛剤は見つかるかもしれません」
 医者の助言に従って、スイス、ドイツ、イギリス、アメリカ、日本と、各国の名医を訪ねて治療を受けたが、だれも病気を治すことはできなかった。傷心の思いで帰国すると、友人がヴィパッサナー瞑想の10日間コースのことを教えてくれた。
 瞑想センターを訪ねると、その平和な雰囲気がすぐわかり、このコースに参加したいと思った。ゴエンカ氏が病気のことを伝えると、師匠のサヤジ・ウ・バ・キン氏に「そういうことなら来ないでください」と断られてしまった。

 ダンマの目的は病気を治すことではありません。
 病気の治療が目的なら病院へ行くことです。
 ダンマの目的は人生の苦しみすべてを治療することです。
 たしかに瞑想をすれば病気は治るかもしれません。
 しかしそれは心を浄化するときの副産物のようなものです。
 副産物を第一目標にしていると、
 今日はよくなったかなとか、
 まだ治らないな、などと考えてしまいます。
 病気の治療ではなく、
 心を解放するためにコースに参加してください。

 その意味を理解したゴエンカ氏はあらためて参加を決めるが、保守的で敬虔なヒンドゥー教徒の家に生まれたので、異教徒(仏教)の指示に従うことは許されない。何か月も葛藤した結果、自分の信仰心は絶対に曲げないと決意して、ようやくコースに参加することになった。
 そして自らの心を観察するうちに、事業に成功し、慈善活動を行ない、信心深く、言葉や行為に注意を払ってきた自分の心には、ヘビやサソリがはいまわっていたことを知る。病気はいつの間にか治り、その後の14年間、サヤジ・ウ・バ・キン氏の元で指導を受けて修業を続けることになる。

 1969年に仕事でインドに行くことになり、故郷に帰った両親を訪ねるついでに、ヴィパッサナーのコースを開くことができた。コース参加者から「今度は友人を連れてきたい」と頼まれ、1度の予定が4回もコースを行なうことになった。ところが2年後、インドにいるときに師匠のサヤジ・ウ・バ・キンが亡くなってしまう。
 サヤジ・ウ・バ・キンは、この瞑想方法はインドから伝えられたものだから、いつかインドの人たちにお返ししたいと言い続けていた。政治的な事情からサヤジ・ウ・バ・キンが海外へ出ることはなく、ゴエンカ氏がインドへ行くことが決まったときに、自分のことのように喜んでくれたという。

 ウ・バ・キン師は、
 ミャンマーの古い言い伝えをよく話してました。
 ブッダの時代から二十五世紀を経て、
 ダンマはその発祥の地に戻り、
 そこから世界に広まるだろう、と。

 インドでゴエンカ氏を知る人は100人に満たなかったが、噂を聞きつけて、あらゆる階層、あらゆる宗教、あらゆる地域の人たちが世界中から集まってきた。原因なくして結果はない。偶然コースに参加する人はいないのだ。過去に何かよい行ないをした結果、ダンマの種を受け取る機会に恵まれたのかもしれない。あるいは、すでにダンマの種を持っていて、それを育てるためにやって来る人もいるだろう。種をもらいに来る人も、育てに来る人も、自ら幸せと恵みを手にして、苦しみから解放されるために、その種をたいせつに育てよう。

 ゴエンカ氏から渡された種に対して、何かお礼をしたいという人がいる。けれども、ゴエンカ氏は金銭や物をいっさい受け取らない。その代わり、「私に対して、メッター・バーバナーでお礼の気持ちを伝えてください」と言うのだ。世界中のヴィパッサナー瞑想者が、これを伝えてくれているゴエンカ氏に感謝の気持ちを贈ることで、ゴエンカ氏も喜んでくれるという。
 修業のところどころで、先生の前に呼ばれて状況を聞かれたあと、しばらくの時間、先生の前で瞑想する。きちんと瞑想しているかチェックされているような気がして緊張していたが、実は先生はこのときにメッター・バーバナーをしてくれていたというのだ。私たちの修業が実りをもたらすように、ヴァイブレーションを送ってくれていたのだった。

 僕は、この瞑想方法を日常生活に生かせないと考えていたが、だれかと待ち合わせているときの数分間、仕事の手を休めている数分間というように、瞑想するチャンスはいくらでもあることを教えられた。そのとき、目をつぶっていると怪しく思われるので、目は開けたままでかまわないという。電車に乗っているときでも、瞑想ができるのではないだろうか。

 6時半に講話が終わり、コースは完全に終了した。朝食をすませたあと、各自が分担して掃除を始める。テントの掃除をして、タープを下ろしてテントにかぶせておく。その後、僕はキッチンの掃除に加わる。
 9時ごろから車に分乗してバス停に向かう。バスの待ち時間が30分くらいあったので、参加者と少し話しができた。やっと来たバスはけっこう人が乗っていて、20人近い大荷物の我々が乗りきれるか心配だった。ぎゅうぎゅう詰めになってなんとか乗り込み、JR茂原駅に向かう。
 キャンプ姿の僕たちを見て、おばあちゃんが話しかける。

「どこかでキャンプでもしてたのかい?」
「ええ、瞑想の道場で修業をしてたんです」
「ああ、道場破りかい!」

 スーパーなどが見えるようになると、現実の世界に引き戻される気がした。20分ほどして茂原駅に到着。駅に着いて流れ解散になったが、東京駅行きの快速電車の中で奉仕の人たちといっしょになる。
 東京駅に着く少し前に、座りながら瞑想をしてみたら、たしかに細かい感覚が観察できることがわかった。これなら日常の中でも生かせそうだ。ところが、中央線に乗り換えるとき、すれ違う人にイライラしてしまう。愛と慈しみの心を手にしたと思ったのに……と反省する。

 最寄りの武蔵境駅に降りると、浦島太郎のような感覚で、景色がぼんやりしている。12日間しか留守にしていないのに、不思議な気持ちだ。しかも、たくさんの人や車の動き、色とりどりの看板、信号機の音など、いろいろなものに感覚がイライラしてしまう。それだけ敏感になったのかもしれないが、それだけ鈍感だったというわけだ。自然のなかは落ち着くが、都会は刺激が多い。体の栄養は食物と環境によるそうだが、食べ物は意識していても、住環境は忘れがちだ。せめて部屋を片づけようと、また反省する。

イラスト|マシマタケシ


基本的に、noteでいただいたサポートは、ほかの方の記事のサポートに使わせていただいてます。