グラジオラス 4.夢の鮮度

 カーテンの隙間から少し光が差し込んだ。湿った部屋に芳香剤の残り香が微かにまとわり付く。ゆっくりベットから起き上がり昨日の事を思い出していた。
結局、てっちゃんの意識はまだ戻らず一旦タクシーで帰ることになりミキタさんが送ってくれた。そこまでは覚えているが、疲れて眠すぎたせいか部屋までは覚えておらずただ携帯を握り締めたままの画面は奏太にメールを送る途中で寝てしまったようだった。
何を送ろうとしていたんだっけ?まぁいいか、とりあえずミキタさんにお礼を言わなければだな。と電話をかけたが出ない。
 冷蔵庫を開けて、飲みかけのレモンティーと100円のバターロールを食べながらSNSを一通り見てイイネの数を数えていく。このルーティーンをもう何年続けているんだろう。言葉と人の間には、限りなく淡いピンクとグレーの川が流れていると私は思っている。それはとても穏やかで、はっきりした色は必要ないように包み込まれている平和の川だ。でも時には平和がつまらなくなる馬と鹿が現れ、赤と黒の川を流し荒らしてしまう。そんな私のようなSNS村のパトロール中毒者は意外と身近で繁殖し増え続けては、正解がないものだと俯瞰で見ているだけで何もしない。そんな奴ほどなぜかSNS村の中だけでは強気なものだ。

 携帯に集中していると、奏太から電話がきた。
「あ、もしもし」
「葵ちゃん、兄ちゃんから聞いたよ。大丈夫?」
「私は大丈夫だけど、てっちゃんがまだ…」
「うん、わかってるよ。でもこればっかりは辛抱強く待とう。今、家?」
「そうだけど。あ、今日スタジオだったね」
「うん、その前にちょっと東京タワーまで来れないかな?打ち合わせ」
「打ち合わせ?わかった。準備して向かうね」
「待ってる」
 電話を切って何の打ち合わせかもいまいちわからないが、とりあえず向かう準備を始めた。東京タワーなんて私の家から電車で1時間以上かかるので、乗換案内を見た段階で少しげんなりしていた。奏太は初めからそうだったが割と1人で何でも勝手に決めてしまう。そのせいか0か100かの性格がはっきりしているベースのレミちゃんとよく揉めていた。その間、私は何度か止めに入ったものの適わずドラムの村岡が奏太とレミちゃんを喫煙所に1人ずつ呼び出し、どうなだめているのかわからないがそれで2人の仲は元通りに戻っていたりする。村岡は普段から冷静でおとなしい人だが、この20歳メンバーの中では1番しっかりしていて頼れるし優しい。私は好意を抱いていた。でもそれが恋愛感情なのかはまだわからなかった。
 電車に揺られながらやっと赤羽橋駅に着き、東京タワーの真下へ向かった。入口のすぐ近くで、奏太とカメラを持った綺麗な女が大声で笑いながら会話をしているのが見えた。なんだか胸の奥がざわつく。
「あ、葵ちゃんこっちだよ」
「お待たせ」
カメラの女がいきなり私を見るなりカメラを構えシャッターを押した。
「初めまして。いきなりごめんなさいね。私の好きな目をしていたのでついシャッター切っちゃったわ。佐伯美香です。よろしくね」
そう言って手を差し出してきた。何なんだこの女…苦手かもと思いながら私は恐る恐る握手をした。
「あ、初めまして須藤葵です。よろしくお願いします」
 早速、中にあるカフェに案内され資料とパソコンをテーブルに広げて写真を見せてくれた。佐伯さんの写真はどれも色鮮やかで個性的で一気に惹きつけられたが、同時に不安も生まれた。
「佐伯さんは昔から世話になってる俺の知り合いなんだ。俺、佐伯さんの写真好きでさ。今日はバンドで使うアーティスト写真をここで撮ろうっていう下見と、さっき話してて後日ここでプロモ撮影もやろうって事になったんだ。その打ち合わせだよ」
「へぇ、そうなんだ。もうそれ電話で先に言ってよ。私そういうの撮られた事ないし」
私は唖然としながら奏太を見た。奏太は少しだけ不安になったのか俯いた。
「ごめん。ケーキおごるから」
「別にいいよ」
それを見ていた佐伯さんが笑いながら私と奏太の肩に軽く触れた。
「不器用な二人ね。大丈夫よ葵ちゃん私に任せて!最高で素敵な写真に仕上げるわ。まぁ奏ちゃんはちょっと頼りないかもだけど下見の打合せ付き合ってあげて。終わったらせっかくだし東京タワーの展望台行こっか」
「そうしよ葵ちゃん!わぁ俺、東京タワーの展望台初めてだ」
奏太は一気にまた表情が明るくなり、それを見て佐伯さんが単純過ぎるだろと笑った。まるで小学生の子供と先生みたいな関係に、思わず私も笑ってしまった。

 一通りの打ち合わせが終わり東京タワーの外観写真や動画などを撮り終えた。展望台に着いた頃にはあっという間に外はもう日が沈み、目の前には夜景が広がる。
「佐伯さん!さっき持ってたもう1個のカメラ貸してください。俺も写真撮ってみたい」
「いいわよ。くれぐれも落とさないでね」
「やった。ありがとう」
そう言って奏太はまた勝手にカメラに夢中になり反対側の方へ走って行ってしまった。
 
 私は佐伯さんと2人きりになり緊張して何も話せないでいると、写真を撮りながら私にこんな話をしてくれた。
「凄く綺麗な夜景ね。東京はね、ここに広がる光の数だけ可能性があるの。つまりここに集まって来る人達は夢を叶えた人、追いかけてる人、探しに来た人。どれかしかいないわ。全部夢の光よ。その光の中にもちろん葵ちゃんも輝いてるわ。ここからどう輝いてこうやって広く見渡した時に誰かの目に止まり魅せられるかは、葵ちゃん次第よ」
そう言いながら佐伯さんはどんどんシャッターを切っていく。
「でも私は特に夢もないですし…探してもいないです」
「あらぁ。でも好きなものはあるでしょ?そのうちそれが夢になるわ。まだ熟していないだけよ。夢にもね鮮度があるの。古くて苦い味が好きなのも悪くないわ。ただ自己満足とも言えると私は思うの。良きタイミングで常に美味しいものを作って食べたいじゃない?それを皆が食べて喜んでるのを肌で感じたらきっとわかるはず。ハッピーだわ」

「いい夢食べたくない?」
 その時の佐伯さんの話に東京タワーの夜景を添えたデザートは私の人生に初めて大型台風が接近し何もかも吹き飛ばして今まであった余計な感情を消し去ってくれるような忘れられない味がした。もっと美味しいデザートにも出会えるだろうか。
「いい夢食べてみたいです。私、頑張ってみます」
「そうでなくっちゃ!一緒に頑張りましょう。奏ちゃんはね、やっとドン底から這い上がって地に足をつけた所よ。本当に許されない大変な…。でも葵ちゃんが友達になってくれてからだいぶ喜怒哀楽が出てきたわ。これからも仲良くしてあげてね」
「もちろんです。私も友達あまりいないので奏太は大事な友達の1人です」
「それはよかったわ。そろそろ帰りましょうか。奏ちゃん探してくるわ」
 佐伯さんは少し何かを思い出したように寂しげな表情で話し、私は奏太の事をそれ以上聞く事は出来なかった。その時、私の右ポケットで携帯が鳴っていた。


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