グラジオラス 5.猫を抱いた男

 佐伯さんと奏太と別れ、家に帰宅した。
いつもなら心地いいこの部屋の静けさも今日は何だか寂しくなり、あまりつけないテレビの電源を入れた。最近のテレビ番組はお笑い芸人が特によく出ている様な気がする。そのせいか繰り返し、ミキタさんの事をよく思い出すようになった。バイトの休憩時間によくダウンタウンやバナナマンのYouTubeを見せてきて芸の凄さを教えてくれたりコントや漫才の構成を教えてくれたり…。最初はウザイと思っていたが少しずつ芸というものに興味を持ち始めている自分がいた。でも、人間性はとても理解が出来ない世界の人達に変わりはなかったが、なんだか好きだ。
 ぼーっとテレビを見ながら携帯を取り出す。そういえばさっき着信来てたなと着信履歴を見た。
「あれ?」
見ると上京する前に、地元でバイトをしていた時の飲食店の店長からだった。その後に送られてきたメールに「元気にしてる?東京での生活はどう?今日もツアーの打ち上げが店であったよ」と送られてきて少し懐かしくなり当時の事を思い出していた。

 高校を卒業してすぐの頃、知り合いに紹介してもらったバイト先がたまたま音楽人の集まるお店だった。私でも知っている様なバンドがライブツアーにきては、終わった後の打ち上げ会場によく使われる様なお店で業界関係者が経営していた。そこでは本当に色んな人と接する機会があり、同時に私の人間としてのちっぽけさもまだまだだなと思い知らされた環境でもあった。しかし私はその頃、音楽には無頓着で興味すらわかなかった気がする。ただただ、寝て起きてバイトに行って数センチの距離にいるのに手も届かない人達を眺めているだけの違和感は今でも体に染みついている。こうやって携帯を眺めていると、さよならと言えなかったあの暑い日を思い出した。

 私はあの時、バイトのビラ配りをしていた。その日は年に一度の花火大会で街には浴衣のカップルや子供連れの親子で溢れ賑わっていた。マナーモードの携帯がポケットの中で震えていた。手に取りメールを開いた時、微かに残った振動の感触と自身が震えている感触が混ざり合い、一気に血の気が引いた。その時、遠距離だった恋人の死を知らされる。凄く悲しいはずなのに涙が一滴も出なかった。人は悲しすぎると涙が出ないものなんだとその時知ってしまった。花火が打ち上がり周りでは歓声が沸く中、花火の音に恐怖を感じ呼吸がうまく出来なくなりしゃがみ込んでしまった。

 ふと、猫を抱いた男が私の横に立ち止まった。

「大丈夫?」

 見上げたその目の奥は、今思うと本当に奏太にそっくりだった。そのあとすぐに不思議と落ち着きを取り戻し私は思わず

「すみません。」と立ち上がると

「無理しないでね。そうだ!これあげるよ。お守り」

そう言うと私の手をとり、ポケットからギターピックを取り出して渡した。

「ありがとうございます。あれ?どこかで……」

 その人は少しはにかんでお店に入っていった。それが猫を抱いた男との最初の出会いだった。その夜お店で聴いた「楓」というあなたの弾き語りの曲で、出なかった涙が崩れ落ちるように一気に溢れてきた日を今でも私は鮮明に覚えている。その後、お店で何度か流れていたあなたの歌を聴くようになった。

「さよなら 君の声を抱いて歩いていく ああ 僕のままでどこまで届くだろう」

その時の涙は、どういう感情のものだったのか。悲しいだけだったのか。きっとそれ以外にももっと他の感情も混ざっていたような気がする。何も考えられずそれを無視するかのように、ただただ時間だけが過ぎていった。「時間」というものは不思議なもので、何が起こっても乱れることなく冷静沈着に私のままを見つめている。秒針の心臓は力強く、生きていれば必ずこの先良いことが沢山あるよと来る日も来る日も私を見守り続けた。そうしていくうちにまた何かと出会い乗り越える力を「時間」は与えてくれる。多分、誰しもがこのただ流れるだけの「時間」に一度は救われたことがあるんじゃないかと思う。

 そういえば私の部屋に来ると奏太が色んなCDや雑誌を持ち込んでは 「死」と「性」と「愛」をモチーフにした作品や記事を聴いたり読み漁ったりするのって凄く迷ってもがいている現状の自分がどういう感情なのか客観的に見えて考えられるから大好きなんだと教えてくれた。

「僕らはいつの日か 死ぬからこそ生きるのさ」

スピッツの歌詞の一文をニヤニヤしながら奏太が「わかるわー!!深いわー!!」と幸せそうにアサガオのケーキを頬に含みフォークをグルグル回しながら言う姿を見て、私もニヤけてしまう。奏太と出会えて本当によかったなと思った瞬間だった。

ふと、つけっぱなしのテレビの音で気付くとベットで横になったまま寝てしまっていた。カーテンの隙間から流れる風に乗って、遠く窓の外では猫の鳴き声がきこえる。

「君と出会えなかったら モノクロの世界の中 迷いもがいてたんだろう 「あたり前」にとらわれて」(砂漠の花 2007年)

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