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嫌いという感情を持つということ
最近、自分の中での大きな出来事が片付いた。
そこで感じたことが「やりきった〜」という達成感ではなく
「これ、嫌いだったなぁ」という思いが第一に湧いたことにびっくりした。
コロナ禍だったり、関わる人の不足だったり、無理なく、クオリティを上げてできるにはどうしたらいいかな?ということを考えて提案して行ったのだけれど
その出来事を取り仕切る人間の答えがはいつも
「もうちょっと頑張ったらできるんじゃない?」だった。
その結果、期間中に、何人も体調不良になる方が出たり・・・。
頑張ることが美徳ではないこともある。
そういう出来事を経て、やれることはやった。結果、無事に?かどうかはわからんけれど、終えることができた。
「嫌いだな」という感情。
人に無理を強いること。自分もとても苦しい思いをしたこと。
そんな中で、「楽しめ」と言われること。
はぁ、どれも嫌い。
そんなふうに、自分の気持ちを眺めていたのだけれど、
ふと、「嫌いを感じることって、好きを感じることにもつながるな」って思えた。
じゃあ、自分はどんなことが好き?
どんな人とどんな会話をすることが好き?
今までが苦しかったのなら、どんなことだったら楽しめる?
そんなふうに、嫌いを感じたからこその好きを探すことができた感じで
自分の「好き」「やりたい」を思い描くことができた。
嫌いがあるから、好きが際立つ。
大好きばかりに囲まれることに憧れていたけれど
大好きばかりに囲まれるということは、きっと
同じだけの大嫌いもみることになるのかもしれないなと思った。
味わってみないとわからないから。
味わったからこそ、見えるものがあるから。
私の「大好きばかりの世界」とは
大好きも大嫌いもクソほどたくさん味わう世界だった。
たくさん感情を揺さぶって、取捨選択して
自分の好みを追求していく世界なんだろうな。
味わい尽くそうって思う。
嫌いも大事な宝物だなって思った。
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