「できない」ってなんだろう?「できる」ってなんだろう?

「できない」って思うことがあると凹む。

けど、世の中には、自分が「できない」ことは沢山あるんだよな〜って気付いたことがある。

例えば、教えてもらっている整体があるのだけど、先生みたいに人を唸らせるよう施術はできない。レストランにいるシェフみたいな料理は作れない。芸人さんみたいに人を笑わせることはできないし、ギターも弾けない。

世の中の全てのことから考えたら、自分ができることって、実は少ない。

自分はなんでもできる人間ではないことに気がつく。

そして、「できた」という設定を高くしていることにも気づく。

「上を目指す」ことと「できる」という事を別に考えるというか。

整体でいえば、「先生みたいにはできない」けど「手技は一通り覚えた」とか

料理で言えば「名のついた料理(オムライスとか)はできない」けど「今夜食べるもので、なんとなく似たようなもの(オムライスのようなもの)は作れた」とか←失敗が多いので。。。

「芸人さんみたいに笑いは取れない」けど「自分が笑ってたら人を笑顔にできる」とか。

自分の「できた」っていう手応えのある基準をどこに持っていっているかな?って見ていく。

意外と、できていることでも、手応えなさすぎて気付いていないことも多かったりするのだよ。

そして、やっぱりできるっていうこと。

人の目が気になっている自分にも気づく。基準からの評価だったり、周りから見ての反応だったり。

それを思えば思うほど、苦しくなる。

だから、自己満足の域に変えたものも沢山ある。自分を自分で落とさないように。自分の機嫌は自分で取るというか、自分で上げていくというか。

それと同じで、できない基準も、よく見たら、人の評価とか、周りと同じにできないとか、あの人みたいにできないとか、そういう事で、「できている」のに「できてない」としてしまうことも多い。

「ない」を探しちゃうんだよね。どうしても。

新しい職場になって半年が経つけど、最初は、「あの先生と同じような保育ができない」とか「同じようにすることができない」って本当は自分の保育ができているのに、その基準に合わせようとして苦しかった。

けど、人の基準に合わせている自分に気がついて「いやいや、自分なりに、理念に合ったことできれば良くないか?」と思えたことで、自分なりにできた、やったことに目が向くようになってからは、いろんな事を試せるようになった。ゴールは自分らしく気持ちを出せて、私も楽しめたらいいというところに設定したというか。

だから、できないっていうこと。

昨日より一歩踏み出せたことだって、

今まで出せなかった感情が出せるようになったことだって

苦手な事、自分には難しいことが認識できたり、それを吐き出せるようになったことだって

少しだけ勇気が出せたことだって

みんなと同じにいかなくても、自分の中での大きな一歩って、沢山あって

それを「できない」って片付けてしまうのはとても勿体ない。

本当は現在地から一歩踏み出すことが「できてる」

もっと言えば、今この瞬間「生きることができる」ということで「できる」を探せば、「できている」ことだらけだったりする。

そこまでハードルを下げて考えたっていいんだよね。

当たり前のことは当たり前じゃないから。

歩んで来た道が違うのだから、生きてきた環境が違うのだから、人と同じようにって考えるのが一番ハードモード設定だと思う。

難しい事をクリアできることもかっこいいし憧れるけど、

もっと簡単に楽に、生きていくことだって本当は選べる。

できないっていう、自分にないものを探すより

できるっていう、自分にあるものを探したい。

そんな事を思いました。


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