捻挫からの気づき・・・自分の見ている世界

私の普段の仕事は保育士。3歳児担任。一人で担任している。

捻挫をしてしまい、担任を持っているにも関わらず、保育に入れない。代わりに主任さんが入ってくださる。運動会2週間前。コロナのお陰で練習して頑張る的な運動会ではないのが救い。ただ、もう少し詰めたいことはいくつかあるのにできない日々。主任さんにサポートしてもらいつつ、できる事をしつつ・・。そんな感じ。

ただ、保育に入れない私が、何かできないかな?と考えたとき、運動会で借りる公園のグラウンドの草抜きを思いついた。毎日、昼礼後20分ほど、全職員でやっている事を、他の先生が保育に入っているときにさせていただく。

園長先生から許可を得て、無理しないという事を前提に草抜きへ。

まだ日差しは強いけど、風が心地よいので、草抜きも気持ちよくできる。

普段はパートの先生がしてくださるこういった雑用。ありがたいな、当たり前じゃないんだなという事を感じたし、自分が担任を持ってクラスを回していることも、当たり前だと思っていたけど、離れてみると、現場で頑張っている先生がいるから、こういう仕事が安心してできるんだと言うこと。これも当たり前じゃないんだという事。任されている仕事をきちんとしてくださる方がいるという事。ありがたいな。相互循環的な。お互い様的な。なんというか、当たり前ってないんだなと感じながら草抜きをする。

そんな中、私が草抜きをしているところを見ていた方に言われた事。

「先生が捻挫して、保育から抜けていろいろできるの見て、いいなぁと思ったけど、ああやってずーっと草抜きさせられるのは地獄だなって思った。私にはできんな」

そうか。この方には、私がやらされているように見えたんだな。

「やらされてる」と感じるか

「させて頂いている」と感じるか

この眼鏡の掛け方で、見えてくる世界が大きく違ってくる。

相手のせいにする、目の前のことのせいにする、そうやって生きていくこともできるけど

全て自分の責任、全て自分が選んだこと、そうやって生きて行く方が潔いし、私はこっちが好み。

どういう世界を見たいかも、きっと自分で選べる。

「草抜きをさせられている」と言われたけれど、その世界で物事を見ることを私は採用するのをやめた。その方にはそう見えたんだな。

そしたら、別の方に

「捻挫が運動会2週間前でよかったね。前日や当日じゃなくてよかったね。」

「捻挫で済んでよかったね。骨折とかにならなくてよかったね。」

そう声をかけていただけたり、

整骨院の先生にも

「運動会までには治ると思う。治りが早い人って、いろんな偶然も重なるんだよ。」

そう言っていただけた。初日に休みがもらえたこともそう。

すぐに診てもらえる整骨院がなくて、出会った整骨院が筋膜リリースをしていたこと。←これをするかしないかで、治る速さが変わるらしい。

身体のことを毎日感じていたから、ちょっとした違和感に気づくことができた←普通はもう少し気付くのは遅いらしい。早めに対処できた。

自分がしているセルフケアも、骨と筋肉を離す感じのもの=筋膜リリースのようなこと(だと私は認識している)。←整骨院の治療とも相性が良くて、セルフケアしたら良いよという箇所を教えてもらえた。

その日に履いていた靴も、足袋靴で、どうやら、身体本来の使い方ができるようなもの。夏頃から履いていて、足袋靴に慣れていたためか、捻挫した直後から、次の日の夕方までほとんど腫れが出なかった。←力が上手に分散されたのでは?たまたま、クラゲ師匠の足袋靴の話を聞いて思った。整骨院の先生も、「捻挫してこの時間経っていたら、もっと腫れてるはずなんだけどな」と言われたくらい。転んですぐ30〜40分冷やして、その後1時間くらいはアイシングなしで過ごしていたので、ほんとに腫れが少なかった。自分でも捻挫かどうかちょっと疑ったもん。

捻挫してすぐ、整体の師匠に聞きながらアイシングやら、処置方法を聞くことができた。←腫れが出なかった要因として、これももちろんよかったんだと思う。アイシングの仕方は的確にアドバイスもらえたし、整骨院に行くまで、テーピングすることを勧めてくれたり、どこを痛めたかもわかってくれるので、プロはやっぱすげー。初期対応がきちんとしてたら治りも早いらしい。警察も一緒でしょ?初動捜査で犯人の捕まえやすさって変わってくるでしょ?と整骨院の先生に言われる。

捻挫したことだけを切り取ると、確かにアンラッキーと思える。

でも、その前後のことに思いを馳せると、感謝できるポイントが沢山見えてきて、捻挫したからこそ、見えたことも沢山あって、ありがたい出来事だったなとすら思える。

木曜日の夕方からは保育に入ることもできている。けど、いろんな先生から労ってもらえたり、負担のかかりそうな仕事は取ってもらえたり、助けてもらいながら仕事をすることができている。

自分がなにを前提に生きているのかな?

どんな世界を見てるのかな?

捻挫をしてそういうことを再確認できている気がする。

本当に、私の見ている世界は、日々感謝なのです。




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