無意識、無自覚の我慢
とある施術を学んでいます。
先週と今週、先生から学んできたり、仲間と深めたるする時間を過ごしていました。
この施術の面白いところは、自分の日頃の癖がはっきりと見えてくること。
受けるより、施術する側の方が、そこがくっきり見えてきます。
受けていても、体感で、自分の癖に気付いたりすることも多いです。
そんな中で気づいたのが、自分の無意識、無自覚にしていた我慢。
体感から気づいたものなのですが
私は、結構我慢強いです。人からしたら、そこまでしなくても・・・って思われることもあるくらい、我慢できたりします。
これ、強みでもあるのだけれど、ちゃんと自覚していないと、自分を苦しめる手段にもなりかねない。
施術の練習から気づいたことが、私の「大丈夫」っていう言葉の意味。
大丈夫=問題ないよ
大丈夫=まだ耐えられるよ
という2パターン存在することに気づいた上
まだ耐えられるよって意味で使っていることが圧倒的に多かった。
無自覚すぎました。
例えば、最近でいえば、仕事で着ていく服。
朝晩は冷えるけれど、日中は暑い。動いていると暑くなるので、半袖にするか、薄手の長袖にするか迷うところ。
で、半袖を着た時、やっぱりちょっと肌寒い。
その時の自分の脳内の言葉
「肌寒いけど大丈夫か。これくらいなら耐えれるし、昼間は暑くなるし。」
あ・・・・、耐えれるって言ってる。
自分の言動を追っていくと、こういうことが、結構多いことに気づいてしまいました。
肌寒いって感じた時点で、一枚羽織るとか、窓が開いてたら閉めるとか、できることしたらいいだけなのに、耐えてしまう。
どうせ暑くなって脱ぐんだし、少々我慢してればいいじゃんって思っていたのだけれど
身体からしたら、肌寒さだって不快。そこを取り除く方が、ずっと自分に優しい感じがしました。
多分、こういうことの積み重ねが、自分の身体との対話につながっていくのだろうなぁ。
こんな感じの身体の学びのシェア会や施術をやっています。
気になる方はメッセージください。
頂いたサポートは、今後の活動費にさせていただきます。