ゆるやかに、しつこく、しつこく、あきらめずに・・・

こんな文章が、僕のPCから出てきました。

「「重たいぬいぐるみ」の事業化自然消滅の経緯と、その原因の推察

2017年9月2日

(1)一度目の事業化機会(2010年頃)経緯

2010年春頃、プロトタイプ(センサ入り)ができ、客先にプレゼン。

なかでも、Sと、Bの反応がよかった。

両者とも、Hからの紹介。

・Bを顧客とし、Hが、「ブレインサイエンス認証」コンサルをし、当社が材料を提供する開発提案が、Hからでる(当時、K室長からのGoが出なかった。(理由(推定):面状感圧センサの用途探索、開発がメインであったので、横道にそれた印象があった。当時、Hからの紹介で会ったBの人たちは、旧Nの人で、ぬいぐるみ関係だと、もういちど仕切り直す必要があり、担当者の意見を聞くことができなかった。Go or No Goをジャッジして、Goなら、Hの人が会わせてくれる段取りだった)。

・Sと当面進めていくことになった(誰かが、そう決定したわけでなく、空気が、そんな感じだった)。

・Sから、企画書がでてきた(センサ入りぬいぐるみとして)(S企画書1)。

添付議事録(2010年4月9日)参照。

センサぬきでの価値も認められたので、センサぬきの「重たいぬいぐるみ」を開発、2010年秋完成、Sとは、センサぬきの「重たいぬいぐるみ」、そして、センサ入りの「重たいぬいぐるみ」や、面状感圧センサという事業化への流れ、またある程度の市場規模がある企画書を提案してもらった(S企画書2)。

添付議事録(2010年10月29日)参照。

この後、センサコストが、売価500円と、当社は報告、先方は、200円で作れるのでライセンス契約しないか?と持ちかけられたが、当社側は、ライセンス契約しない方針とした。「重たいぬいぐるみ」の件も、センサありきで話を進めてきたので、終了となった。

2011年2月、2011年に2億円売上目標を掲げていたプロジェクトだったが、R企画の段階で、「保留」となった。

「重たいぬいぐるみ」自身は、「T」がやればいいという空気があり、Jさんが動かなかったというのが、当時の感想。

議事録には、明確に書かれていないが、ぬいぐるみは、中国で作っている。「超柔軟エラストマー」を日本で作って、組み立てを中国でするとコスト高になるから、中国で作ってくれないか?というのが、先方の要望で、Tは、中国生産を嫌がっていた。

【何故、事業化できなかったか?】

あくまで、面状センサは興味を示さなかった。超柔軟エラストマーを使用した握りコントローラーなどにも、駄目ダシがきた。コストも合わなかった。彼らが興味をもっていたのは、1日10分それをすると、いいこと(たとえば体にいい)になる「なにか」だった(たとえば、青竹踏み)。小職としては、次回は、「青竹踏み」のような提案をしようと思っていたが、この時点で、ゲームプロジェクトは、「保留」となった。小職は、透明ロールスクリーンの開発、熱計算の確立の応援をして、2ヶ月した後、経営企画室に異動となった。

【その後】

小職は、経営企画室において、「新規事業の創出の課題と対策」というテーマに取り組んでいる中、3Mの「ポストイット」開発者などを取り上げた「企業内起業家」という本に出会い、鼓舞された。「重たいぬいぐるみ」は、ことあるごとに、「価値」が実感できた。相手のいうなりのコスト交渉で、苦い思いをしたのは、マーケティングの力がないからだと、テストマーケティングで、ニーズを把握することが必要だと感じ、当社「ヘルスケア室」に展示することになった。その後、大阪の「エイジレスセンター」に展示することになった(添付報告書)。」

あれから、13年後、小生は、その会社を辞めて、「重たいぬいぐるみ」は、「犬型セラピー?!ロボット!パトラン」という名前になったという思い出話でした。

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