見出し画像

便利さと引き換えに僕らが失ったもの、本当にほしいもの。

今回は、「僕らは、便利なものに慣れすぎて、大事なものを失っていることにさえ気づかなくなっているのかもしれない」という話。

一見、全然関係ないスーパーの話から始めていきます。

スーパーでうろうろするのが好きです

僕はスーパーで、うろうろするのが好きだ。

買わなきゃいけないものがあるから行くときもあるが、なにかを買う必要がなくても大きめのスーパーをうろうろしたりする。

こんなのあるんだなーとか、これ買おうかなーと迷ったりとか、こっち買うからあっちはやめとこうとか、脳内で数々のシミュレーションを繰り広げる。

嫁に「あれ買ってきて」と言われてスーパーに行くと、だいたい「それ以外のもの」をなにか買ってくるので、「いつもいらんもん買ってくるよなー」と言われる。せっかく行ったなら自分がほしいものも買いたいじゃない。

ゴミをゼロにする町

そんなスーパー好きの僕が、あえてスーパーのお肉売り場ではお肉を買わず、地元のお肉屋さんに行くことにした。

その理由は「ゴミ」だ。

最近、「ゼロ・ウェイスト」という言葉を知った。

ゼロ・ウェイストとは、無駄、浪費、ごみをなくすという意味です。
出てきた廃棄物をどう処理するかではなく、
そもそもごみを生み出さないようにしようという考え方です。

徳島県上勝町という四国の小さな町で、静かに、だけど力強く、僕らの「これまでの常識」を変え、これからの生き方につながる動きがはじまっている。

「ゴミをゼロにするなんて不可能だ」

誰もがそう思うと思う。僕もまだそう思っている。

でも、徳島県上勝町は2003年の町議会で全員一致となり、日本の自治体として初めての「ゼロ・ウェイスト宣言」を行った。町にはゴミ収集車が走っておらず、ゴミステーションに町民が自らゴミを持ち込む。

ゴミの4割を占めるという「生ゴミ」は、各家庭のコンポストや電動生ゴミ処理機で処理しているので、ゴミステーションは臭くない。ゴミステーションには45種類の分別があり、それぞれに対してリサイクル先が決まっている。

つまり、それらは「ゴミ」ではなく「資源」として再利用されるのだ。

1年間のゴミの量が1リットルの家

ゴミ捨ては僕の役割だが、毎週よくもこんなにゴミが出るな、と思うことがある。生きているだけで、こんなにゴミを出しているのか僕らは、と。

ところが、「ゼロ・ウェイスト・ホーム」の著者ベア・ジョンソンは、家族4 人が1 年間に出すごみの量がガラス瓶1 本分(= 1 リットル)だという。

とうてい信じられないと思ったが、どうやらホントのことらしい。

この本を翻訳した翻訳者の服部さんは、「ゼロ・ウェイスト」を実行しているベア・ジョンソンに衝撃を受け「翻訳させてください」と連絡をとったことから、この書籍の日本語化が決まり、出版となったそうだ。

そして、翻訳するだけではなく「実行してみなければ」ということで服部さんは実行に移し、下記のサイトでそのプロセスを公開してくれている。

これを読みながら、僕はどれだけ無知で無自覚にゴミを捨てているのかを知った。ゼロ・ウェイストなんて不可能な夢物語だと思うかもしれないが、ゴミをゼロにするかどうかは正直どちらでもいいと言っている。

それよりも、そうしてゴミを出していることに意識的になることで、自身の暮らしや価値観を見直していくこと、それこそがゼロ・ウェイストに取り組む価値だと、僕はそう受け取った。

ゼロ・ウェイストは「ゴミの少なさコンテスト」ではない、と。

それは「ゴミ」なのか?「資源」なのか?

そうしてゴミに意識を向けると、いままで見えていなかったものが見えてきた。

近くにあるいくつかのスーパーの中で、生協が運営しているスーパーの前には「プラスチック白トレイ・プラスチック透明トレイ・牛乳パック・ペットボトル」といった、いくつものリサイクル回収ボックスがあった。

そのボックスに戻せば、それは「ゴミ」ではなく「資源」になる。

さらに市役所に足を運んでみると、そこには乾電池回収・プリンタインク回収・不要となった電子機器類の回収など、いくつものボックスがあった。

ちゃんと行政も「ゴミ」ではなく「資源」として活用しようとしている。

しかし、それらを「資源」にせず、「ゴミ」にしていたのは、無知で無自覚に全部をゴミとして捨てている自分だった。

翻訳者の服部さんのサイトを読んでいる途中だが、途中まで読んだ段階でも「僕らでも、意識すればできることがいろいろあるじゃないか。」と気付かされた。

いつもなら、しない行動

ゴミを生み出さない動きは、まず「買う段階」からはじまる。

今日の僕は、お肉を買いに行く必要があった。そして、チノパンも買いたいと思っていたので洋服も買えるイオンに向かった。

いつもなら服を買った流れで、イオン内のスーパーに寄ってお肉を買う。

しかし、スーパーの場合は白トレイにラッピングされたお肉が並んでいる。それを買ってリサイクルBOXに出すということでもいいが、そもそも白トレイに入っていない状態で買うには、どうすればいいか。

自分でタッパーを持って、地元のお肉屋さんに行き、タッパーに詰めてもらってお肉を買えばいい。それが、そもそもゴミを生み出さないようにする「ゼロ・ウェイスト」的なアクション。

恥ずかしいので、まずは行ってみることにした。

そして、「実際にお肉屋さんにタッパーを持っていって、やってみた」と言えればキレイな流れだが、今日の僕はまだそこまで実行することができなかった。

実際にやってみたのは、スーパーではお肉を買わず、地元のお肉屋さんに行ってみるということ。地元の小さなお肉屋さんがあるのは知っていたが、そこで買ったことはなく、いつも店の前を素通りしてイオンに行っていた。

しかし今日は初めて、そのお肉屋さんに行くことにしたのだが、初めて行くお店で、いきなり最初からタッパーを持っていって「これに詰めてください」と言うのは心理的に少しハードルが高すぎる。

なので、まずは「地元のお肉屋さんに行ってみる」というアクションから始めることにした。

あまりにウェルカムだったお肉屋さん

夕方17時ごろ、夕食の食材を買いに出かける人が増える頃、僕はそのお肉屋さんに行ってみた。イオンやスーパーであれば人の多い時間帯だが、そのお肉屋さんには僕ひとり。

店内に入ると、

「いらっしゃいませ〜!」

威勢よく声が店内に響く。

店の手前に1人と、奥に2人。自分に向けられた3人の声には、ものっすごいウェルカムな勢いがあり、その圧に少したじろぎながらも、一切うろたえた様子を見せずに店内に入っていく。

横長のガラスショーケースの中に、お肉たちが並んでいるのを見ていると、そのショーケースの向こうから、こちらの様子を見ている店員さん。奥にいた少し年配の店員さんが1人、ショーケースのある手前にやってきた。

僕は斜め下を見ながらショーケース内のお肉を見ている。その状態の周辺視野で店員さんを確認していると、ものすごくにこやかにこちらを見ている。なんだかものすごく”来店を喜ばれている感”が、伝わってきた。

僕の思い込みかもしれないが、近くにあるイオンにお客さんが流れているなかで、わざわざあえてこのお肉屋さんを選んで来てくれていることへの感謝があふれているかのようなウェルカムオーラを感じる。

そして、ウェルカム感の先に「話したいオーラ」を感じたので、会話の糸口をつくってみようと思い、

「豚肉のバラはこれですか?」

と指差してみると、奥から手前に出てきた年配の店員さんが、堰を切ったように話し始めた。

「これは小間切れで、バラ肉はこっちにあるやつですね。(キレイにスライスされた豚バラ肉が並んでいた)

あ、でも、この小間切れは豚の腕とか肩の近くで、よく動く場所なので美味しいですよ。バラ肉もいいし、生姜焼きとかするならこの小間肉もすごく美味しいですよ。」

と嬉々として教えてくれた。「豚の腕とか肩の近くで」と言っているとき、腕をぐるんぐるん回すジェスチャー付きで、教えてくれた。

この人が店長さんか、社長さんなのかもしれない。

そんな会話をしながら、

「あー、こういうのって、スーパーとかイオンじゃ感じないことだなぁ…」

と、ふと思った。

単に買うだけじゃない。

単に豚肉を買うだけなら、スーパーやイオンでいい。

でも、こうやってお肉を大切にしている人が、きっと自分たちの自信のあるお肉を仕入れて、お客さんと対面してお肉を売っているという場所に行き、そこで少しの会話を交わしてお肉を買う。

こんなふつうのことが、今はずいぶんと無くなってしまっているのかもしれないと思った。

昔は、こういうことが日常的にあったんだろうなぁ。

僕も小学校のころは、地元の商店街で買い物をする母親についていって、そこの八百屋さんとか魚屋さんと少しの会話を交わして、いくつかのお店で買物をする母親の姿を見ていた。

会話が起きるなかで、「今日はこれいいよ」と教えてくれて、「じゃあ、それもいただくわ」となることがある。

今日、僕はお肉屋さんに行って、その帰り道に「またここに来て、次はもっといろいろお肉を買おう」と思った。なんだか、どうせ買うなら、ここで買いたいなと思っていた。

最近のスーパーは、カゴに商品を入れて、レジに通したら「お会計はあちらで」と自分で精算をする機械に案内されることが増えてきた。コンビニにもセルフレジが増えてきた。

たしかに、それでパパっと買ってしまいたいものもある。

でも、そこで失われた「お肉屋さんとの少しの会話」がある。

会話なんて別にしたくないと思うかもしれないけど、今日、僕が行ったお肉屋さんでは「わざわざこの店に来てくれて、買ってくれてうれしいッス!」という雰囲気をなんとなーく感じたのだ。

お肉を買うという目的を果たすことより、そうやって買うことで喜んでもらっていることを感じられること自体がうれしいのだ。

地元のお肉屋さんに行こうと思った目的は、「ゼロ・ウェイスト」に影響を受けて、「ゴミ」を減らしていこうというアクションのためだった。

でも、そうしてお肉屋さんに行って気づいたのは、地元にあるお店にいる人との心の交流だった。「ゼロ・ウェイスト」は「ゴミの少なさコンテストではない」というのは、こういうことなのかもしれない。

ゴミについて考え直して、自分のアクションを変えることで、いままで自分が気づいていなかったことに気づき、生活と心が豊かになっていく。そのキッカケをくれるのが、「ゼロ・ウェイスト」なのかもしれない。

(『書く習慣』を読んで続けている#1ヶ月書くチャレンジ。30日間、毎日書くことよりも、できるだけ毎日書いて、30記事を書くことを目標にしている。そして、今回はキリのいい20記事目。10月3日に開始して、ほぼ毎日、記事を書くことができている。少し時間が空いても、続けて書いていこうと思う。)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?