迷ったら、失敗する方へ。危険な方へ。
思わぬ展開で、思わぬ破天荒な人を知った。
イラストの作者からコメントが届いた
昨日「手放すというか、手放さざるを得ない展開が、僕の人生を次に運んでくれた」という記事を書いて、記事のヘッダー画像を「みんなのフォトギャラリー」から選んだ。
フォトギャラリーのなかで「手放す」と検索してみたら、まさに手放す瞬間の時間軸が見えるイラストがあったので、選ばせていただいた。
すると、そのイラストの作者である方からコメントをいただいた。
なるほど、みんなのギャラリーにある画像を使うと、その作者に通知が届く仕組みになっているんだな、ということを今回はじめて知った。
その方は、コピーライターをされている川中さんという方だった。
広告コピーを書いている文字のプロが、イラストまで描けてしまうとはどういうことだろう。天は二物を与えている。プロフィールを見ると、同じサッカー好きでもあることがわかり、勝手にうれしくなった。
コメントで教えてもらった破天荒な芸術家
記事のコメントで「イラストを使っていただきありがとうございます。」というコメントをいただくとともに、昨日の記事テーマでもある「手放す」に関連して「手放しつづけた芸術家がいます」と教えていただいた。
下記、コメントから抜粋。
「日曜美術館」で、たったいまタイガー立石という、名声はもちろん、
住居、作品、名前すらも継続するのを嫌悪して変えていった画家の
一生を知りました。つまり手放し続けた男です。
なんだかスゴい人がいるようだ。
さっそくNHKプラスの見逃し配信で見てみようと思っているが、これだけ手放して手放して、有名になるまいとしても、日曜美術館で紹介されてしまうほどの人物となっている。
下記の記事には、展覧会情報も記載されていました。
迷ったら、失敗する方、自分がダメになるほうを選べ
「名声はもちろん、住居、作品、名前すらも継続するのを嫌悪して変えていった」というコメントを読むと同時に思い出したのは、岡本太郎。
『自分の中に毒を持て』という本に書かれていた言葉を、今でも覚えている。
「迷ったら、失敗する可能性が高い方、自分がダメになる方を選べ。そうするとエネルギーが湧いてくる。」
「『迷ったら、失敗するほうへ』だって? なんでわざわざ失敗することがわかってて、失敗しにいかなかきゃならないんだ。こちとらゲージュツカじゃなくて現実を生きてるんだ。仕事であえて失敗するなんてできるわけがないじゃないか。」
と言いたくなりそうな言葉だけど、太郎さんは続けて、こう言う。
うまくやろう、成功しようとするから、逆にうまくいかない。
人生うまくやろうなんて、利口ぶった考えは、誰でも考えることで、それは大変卑しい根性だと思う。繰り返して言う。世の中うまくやろうとすると、結局、人の思惑に従い、社会のベルトコンベアーの上に乗せられてしまう。
一応世間体もよく、うまくはいくかもしれないが、ほんとうに生きているのではない。流されたままで生きているにすぎない。
なんだかグサッと刺さってくる。
君たちが「成功」と言っているものは、世間体の良い、社会から外れない範疇で、後ろ指を指されないように生きようとすることなんじゃないか?と。
友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、ほんとうの意味でみんなによろこばれる人間になれる。
(中略)
自分を大事にしすぎているから、いろいろと思い悩む。そんなに大事にしないで、よしそれなら今度から、好かれなくていいと決心して、自分を投げ出してしまうのだ。
駄目になって結構だと思ってやればいい。最悪の敵は自分自身なんだから。自分をぶっ壊してやるというつもりで。そのくらいの激しさで挑まなければ、今までの自分を破壊して、新しい自分になることはできない。
このフレーズで、1つ思い出したエピソードがある。
古田新太さんが、その昔、人気ラジオ番組「オールナイトニッポン」の木曜パーソナリティに抜擢された。実は木曜のその枠は、以前はビートたけしさんの枠だった。
「おいおい、たけしさんの後って、まいっちゃったな… 」と思った古田さんは、こう考えるようになったと話していた。
「もういいや。何しゃべったって、たけしさんと比べられて、おもしろくねーとか言われるんだったら、徹底的に嫌われてやろう。そんで、とっとと辞めてやろう。よし、俺の好きなハードロックと下ネタしかしゃべらないようにして好き放題やろーっと。」
キャッチフレーズは「世界で一番偏差値が低いラジオ番組」。
タイトルコールの前には必ず「聴くと頭が悪くなる、世界で一番偏差値が低いラジオ番組」とコールしていたその番組は、大人気となり、放送から10年以上経ってからも、その放送を思い出してTCC(東京コピーライターズクラブ)の人もコラムを書いているほど。
損得勘定で考えず、危険な方を選ぶ
再び、岡本太郎さんの言葉に戻ってみよう。
もちろん怖い。だが、そのときに決意するのだ。よし、駄目になってやろう。そうすると、もりもりっと力がわいてくる。
よく考えてみてほしい。あれかこれかという場合に、なぜ迷うのか。
こうやったら食えないかもしれない、もう一方の道は誰でもが選ぶ、ちゃんと食えることが保証された安全な道だ。それなら迷うことはないはずだ。もし食うことだけを考えるなら。
そうじゃないから迷うんだ。危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。ほんとうはそっちに進みたいんだ。
だから、そっちに進むべきだ。ぼくはいつでも、あれかこれかという場合、これは自分にとってマイナスだな、危険だなと思う方を選ぶことにしている。
誰だって人間は弱いし、自分が大事だから、逃げたがる。頭で考えて、いい方を選ぼうなんて思ってたら、何とかかんとか理屈をつけて安全な方に行ってしまうものなのだ。
かまわないから、こっちに行ったら駄目だ、と思う方に賭ける。
自分のなかにあるものがゴゴゴッと振動をはじめる。心が揺さぶられる。
この言葉に触れているだけで、なんだかこう、この本の表紙にあるみたいに、目をひん剥いてググッと自分の中を覗き込まれているような気分になる。
たまには、こういった自分のなかにある衝動を衝き動かすような言葉に触れて、生きることの躍動感を思い出していくことが必要なのかもしれないと思った。
さて今夜は、教えてもらった日曜美術館でタイガー立石という人に触れることにしよう。
(『書く習慣』#1ヶ月チャレンジ、19記事目。)
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