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日々是くらげ357日目「山形から帰還」という話

・20日〜23日で山形に行ってきて帰還。23日は疲れ果てて日記どころではなく、24日は一日中予定が入っていたため、25日になってやっと日記を再開できる。(なお、現在26日8時であるが細かいことは気にしない)

・山形は東京に比べるとやはり空は広いし山々も綺麗なのでUターンしたくなるのだけど、色んな事情で東京から離れるのは現実的ではない。ただ、年2〜3回は実家に帰ったほうがいろいろ良さそうではある。まぁ、実家がいつまであるかわからんが。

・山形では21日に母校の恩師と山形でそこそこ有名なイタリア料理店で食事。エビのクリームパスタとピザと苺ムースケーキを食べる。やはり水が違うのか、あるいは地元の水だからか、都内のものより味がマイルドな気がする。恩師は相変わらずめんどくさい人として学校で暴れているようで何よりである。

・親父が齢74にして自室を配信用スタジオに作り替えていることに驚いた。難病にかかってはいるし、いろいろ軽く認知力も衰えているようだが、お元気で何よりである。しかし、自分の血はいろんな家族から流れ込んでいるんだなぁ、ということを強く実感する帰省であった。

・22日は芋煮会。11時に到着したら大鍋2つがカマドで火にかけられていた。妻が「50人以上来るのか?」と聞いてきたが「この量ならせいぜい30人くらい」といったら奇祭を見る目をしていた。周りをよく見ると鍋一つしか準備してないグループの方が稀であり、「これが芋煮会だよなぁ」と思うなどと。芋煮は大変美味しく二杯食べた。山形市内を廻り、信長の野望 出陣の陣地を獲得する。山形城跡も制圧。しかし、本当にのどかなところである。

・ガソリンがリッター152円という破格のところがあり、母と一緒に行き給油してもらう。こっちは165円くらいなのだけどどうしてそんなに安いんだ。

・伯父より数キロ分の冷凍ホタテが届く。たまたま自分らがいるタイミングで届いたらしい。親から半分ほどもっていけと言われるが、クーラーボックスに入れても帰宅した頃には半解凍状態。殻付きのホタテは10枚ほどあったが、4枚はその日のうちに焼いて食べて、残りは炒めたものを刻んでチャーハンにする。1キロほどある貝柱はいくつか生で摘まんだあとはコンフィとしてオリーブオイルで煮込んで保存。無駄にしなくてよかった。

・今回はあまり外食とかはせずに母の手料理ばかり食っていた。手間をかけて申し訳ないが、うまいというわけでもないが本当にホッとする味というものを感じる。歳だな

・23日は朝9時半に出発。最寄りのサービスエリアでお土産などを買い込む。途中で休憩しようとしたがタイミングを間違えて関東に入ってからは一回も休憩できず、15時頃には完全にへばる。佐野SAで休憩しようとしたが満車で入れず。仕方ないので気合で自宅付近まで一気に戻る。何か食って帰るかと思ったがいろいろ面倒になったのでマックのドライブスルーで済ます。テキパキしたクルーの動きに「都内だなあ」と感じ入ったので、私のホームはもはやこっちなんだろうなぁ。山形ににはたまに帰るくらいでちょうどよいかもしれない。

・そろそろ冬なので車で帰るのは難しくなる。次に山形に行くとしたら緊急事態でもなければ春になってからだな。そう考えると雪国というのは過酷な土地である。

妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。