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今日の日を「新型コロナウイルスに戦いを挑み始めた日」にするための覚書 #家にいよう #StayHome

2020年4月7日19時、安倍首相が新型コロナウイルスの爆発的流行を受けて、7都道府県に緊急事態宣言が発令された。

専門家によれば「不要不急の外出」を避け、普段より7から8割、人との接触を避けろ、さもなければ1ヶ月後には感染者が東京都内だけで8万人を超え、医療崩壊やらなにやらが発生する可能性がある。

首相は「国家的な危機に当たり、国民の命と健康を守ることを第一に、感染拡大防止に向けた取り組みを進めていう」と大変力の入ったことをテレビの向こう側で述べており、この時限をもって戦後最大級の危機であるコロナウイルスとの闘いが、新しい局面に突入した。「2020年4月7日19時」はかくして歴史に刻まれる時刻となったのであるーーー。

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同日同時刻。都内某所のわが家はちょうど夕食時で、食卓には鶏肉の照り焼き、にんじんソテー、卵スープといったいつもの食事が並んでいて、肝心のテレビでは子猫がじゃれ合う動画が延々と流れている。妻のあおと私は、あざとさを感じるまでにかわいらしい子猫の一挙一動に喘ぎ声と桃色のため息と、悲鳴を上げながら食事を進める。ここ数日とまったく変わらない夕餉の時がそこには流れているかのようだ。

だけども、本来はこの時間はNHKのニュースが流れている時間だ。情報ジャンキーとしては、ニュースを見ながらあーでもないこーでもないと話しながらご飯を食べるのが常なのである。しかも、何か緊急事態が発生したら真っ先にTwitterを開き、NHKをつける。そういう人間だ。だけども、歴史的なその瞬間、私にとって安倍首相の宣言よりYouTubeでいつでも見られるネコの動画を流していた。

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私は昨年4月から在宅勤務の仕事に転職した。前職は大学の職員で、しかも学校衛生などの管理する部署でもあったからもしまだ転職してなかったら今頃恐ろしいことになっていただろう、と思うといい時期に転職できたと思う。

今の私の生活は非常に単調で、朝起きたら適当に何かを食べ、仕事をして、またご飯を食べて、また仕事や書き物をする。(妻が不調だとケアタイムを挟んだりする)

夕方になったら買い物に行き、ご飯を作って食べて、夜は適当にネットをしたりテレビを見たり、風呂に入ったり、昼にできなかった書き物や仕事をする。砂浜に波が寄せて引くくらいの静かなサイクルがそこにあり、その中に特筆するべきことはそれほどない。

特に妻が怪我をして歩行に困難が発生したり、私の心臓の不調が発覚した昨年の秋以降は積極的にリアルで人に会いに行くことも少なくなった。リアルの動きだけで言えば、ほとんど引きこもりか隠匿生活者だ。

そんな生活なので、新型コロナウイルスで緊急事態宣言が発令された今でも生活に大きな変化はない。相変わらず、起きて、食って、仕事して、食って、仕事して、寝ている。

それでも、ネットでつながっている友人や知人から毎日のように混乱している状態が伝わっていくるし、コロナウイルスに関する膨大な量のニュースは読み切れないほどだ。リアルな生活には影響はないのに、情報の面ではパニックが起きている。この奇妙なねじれは情報社会の複雑さの表れなんだろうけども、どこかしっくりこないところがある。要はどこか「我が事」として受け止められないのだ

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数日前、妻が「さっき、ポストに何か投函されてないか見に行ったら、お隣さんのお子さんたちとお母さんがいたから挨拶しておいたよ」と言った。

私は「へぇ、隣の人と話をするって珍しいね」と茶化したら、妻は「あんたと違ってそこまでコミュ障じゃないんだよ」と反撃してきた。こいつはあまり私には言わないのだけど、ご近所さんとは意外と仲良くやっているらしい。妻はそれを「外交戦略」というのだけど、この辺のご家庭の名字を一つも覚えていない私からすればコミュ障と言われても反論は難しい。グググ。

「お隣さん家、昨年子どもが生まれたでしょ。だからお母さんも大変そうだから時々様子を見てるんだよ」と妻は言う。○○さんの家は同年代らしきご夫婦と10歳くらいと8歳くらいの男児、それと赤ん坊がいる。この年代の子どもを二人抱えて、赤子を見るのは確かに大変だ。

そんなお隣さんを見かねて、妻は「様々な生活用品が一家族一個までになっているけど、もし足りないものがあったらウチの渡します」と約束していたようだ。正直、そういう交渉をするようなキャラと思ってなかったのでちょっと驚いた。人間は15年くらいつきあっても知らない側面は日々出てくるものだ。

「でも、それで足りなかったら買ってくるの俺だよね?」と聞いてみたら「あんたもそのくらいはしなさいよ、外交だよ、外交」と世間の渡り方をレクチャーしてきた。私は反論もできずにうなずくのみであった。コロナウイルスの問題は、妻にとっては人付き合いを深める機会でもあったようだ。なんというか、自分には見えてない側面が妻には見えているようだ。

「あ、それと」と妻。
「はい、なんでしょう?」
「ニュース、できれば消して欲しい。コロナ疲れがするー!」
「そうか、じゃ、ネコの動画でも流しておくか」

それ以来、我が家のテレビではNHKのニュースは流れていない。どうにもならない情報を逐一追うのではなく、今、なにが正しいかを判断すること。そのためには情報過多である必要はないのではないか、と自然に思えた。

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緊急事態宣言から一晩明けた今日、区から「不要不急の外出を控えてください」というメールがあった。9時には町内会のスピーカーから同様のアナウンスもあったようだ。そんな中、私は特に変わらず仕事を続けていた。妻はあまり体調がよくないようで奥の部屋で寝込んでいる。

お昼になったので何か食べようと冷蔵庫をあさったのだけど、めぼしい物はなかった。これは必要至急の事態なのでコンビニの食料調達に行こうと外に出たら、たまたまお隣さんの子どもとお母さんが家の前でゴムボールでキャッチボールをしていた。お母さんは子どもを抱っこひもで支えながら、上の子たちと必死に遊んでいるのだけども、とても大変そうだ。

「ねぇ、ボールを貸して!」

私はお子さんの方に声をかけた。普段の私はこんなことは言える方ではないのだけど、どういうわけ無意識にそんな声が出た。大きい方のお子さんは、ちょっと動揺したみたいだけど、すぐにボールを構えて、お母さんの方を見た。私はお母さんに対して会釈したら、お母さんはいいよ、というようにちょっと顔を縦に振った。お子さんはとても強いボールを私に投げてきた。

「ありがとうございました。子どもたちも満足してみたいです」
5分ほどキャッチボールをした後、お母さんは私にそういった。私の息は完全に上がっていたけど、お子さんたちはまだ二人でキャッチボールをしている。子どもの体力は無限か?と不思議に思う。
「いえ、私も楽しかったです」
私は、ここ数日間続いてた憂鬱さが不思議と消えていて、爽快感すらあった。

コロナウイルスに色々悩んだりする日々だけど、私は「なにも影響がない」という贅沢を、いま味わっているのだ。赤ん坊を気遣いながら、子どものエネルギーの放流につきあわずに済んでいるのだ。この5分の間、ブロック塀に寄りかかって息を整えるおかあさんの苦労を、私はしていないのだ。そりゃ、私がコロナウイルスの問題を「我が事」として感じられなくても当然だ。だって、そこまで困ってないのだから。どこかネットの向こう側、壁の向こう側にある気がしていたから。

でも、コロナウイルスがもたらす困難は、今、目の前にあって、私の身体で、2本の腕で関われる問題なんだ、とキャッチボールをしていて唐突に気づいた。なにか初めて「コロナウイルスの問題」をリアルに掴んだ気がした。

私は変わらなくても、今この世の中には、人生が変わってしまった人が大勢いる。私が変わらないように、今この世の中で、必死に働いている人がいる。私はそのどちらでもない、という贅沢を与えられていて、同時に、「まだなにもしていない戦力」であることにも気づく。私は、まだコロナウイルスへの闘いに身を投じてなかったことに気づく。

この子どもたちが、一日でも早く学校に通えるように、このおかあさんが少しでも休める時間が長くなるように。コロナウイルスに立ち向かうとは、概念ではなく、誰かの失われた日常を取り戻すということでもあるのだ。だから、私にとってのコロナウイルスの問題は「2020年4月8日」に始まった。

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夜、なんとか起きてきた妻に「子どもさんとキャッチボールをした」という話をしたら、妻は目を丸くして驚いたあと、「あんたもたまにはやるねぇ」とニヤニヤしていた。何かむかつく。

「とはいえ、なにができるだろうね」と私は聞いた。妻は「そりゃ、うがい手洗いを真面目にやるところからだし、家にこもって駅前にあまりいかないことじゃないかなぁ」と答える。当たり前のことなのだけど、まぁ、私はあまり衛生的な方でないのも事実だし、今でも運動不足だと駅前のスーパーに出かけてしまう。

「なんかこうパッと解決できる方法とかないのかねぇ」と愚痴るのだけど「そんなものはない」と一蹴された。まったく、辛い闘いになるなぁ、と思った。でも、この闘いはそういうもので、引きこもれる特権がある人はひきこもっておくべきなのだ。

「でもあんた、よく話しかけられたね」
「そうだね」
「それだけでもあんたはがんばったよね」
「そうかもしれないね」

そして、妻は私の頭をぽんぽんとたたいた。テレビでは子猫があくびをしていた。

妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。