2024年1月6日(土)1932年ロサンゼルス五輪は結構画期的だった

正月休みが明けた昨日の仕事始めを経て3連休。鈍った心身がまたまた鈍ってしまう。休むことがいいことか分からなくなる年明けですね。朝から本棚にあった『幻の東京オリンピック』(橋本一夫著・講談社学術文庫)をパラパラめくると1932年ロサンゼルスオリンピックが結構日本にとっては画期的であったのだと分かる。これまでにない190人を超える大選手団。政府の補助金も前回大会の倍近い10万円。天皇が体協に初の下賜金を1万円……などなど国内各界の関心が異常に高くそれに伴う代表選手への「メダル獲得」の重圧ものしかかった初のオリンピックだったという。これが現在にも続いている国を背負うプレッシャーなのですね。それもよりも面白いのがオリンピックで初めて始まったラジオの「実感放送」。当初は実況中継を模索していたが米国内の都合で頓挫し窮余の一策として実施したとか。現地派遣されたアナウンサーがスタジアムで競技を観戦後に現地放送局のスタジオに駆け込んで見たままを再現実況する。著者も「珍妙な形式であった」と書いておりごもっともですね。さらにさらに海外からの電波なので時おり「ザ、ザー」という雑音が混入したようだがなんとその雑音を波の音と勘違いする視聴者もいたとかで放送局には大した苦情も寄せられなかったとも。ははは。苦情が寄せられなかった日本選手の大活躍も相まっていたようですがね。ちなみに1932年は国内テロ事件が続発し五・一五事件が起こっていますね。翌年1933年には国際連盟脱退かぁ。


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