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花無心

花無心招蝶 (はなはむしんにしてちょうをまねき)

蝶無心尋花 (ちょうはむしんにしてはなをたずぬ)

の、花無心(はなむしん)です。

禅の教えでは、大自然の「因縁」…花は誰から教えられるでもなく蝶を招き、花粉を運んでもらい、蝶は導かれるままに花に寄り添い、蜜を吸う。各々が本分を全うし、縁を結ぶ。己の役割を果たせば、縁は繋がるということ。


私は「筆禅道」を学んでいます。まだ、5年程度です。花が好きなので、作品展には 毎回「」の字がある言葉を書いています。2年前は「花無心」でした。

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私は、どこでも何でも花好きですが、野にひっそりと咲く花が一番好きです。「花無心」を書く時… 花は誰かに褒められたくて咲いている訳ではない。

誰にも見てもらえなくても 精一杯咲いているから、その姿を見つけてあげられた時 私自身が嬉しくなる、あの気持ちを表現したい…と思いながら、書いています。

フラワーアレンジメントは、お花が既に美しい姿で存在していますので、私は「配置」するだけです。そして、花自身が位置を教えてくれます! 花の声が聞こえる、という感じです。

対して、 書は 私にはとても難しいです。何もない白い紙へ墨の色だけで表現するのは戸惑います。そもそも、書より絵を描くことの方が好きですし…。敢えて、難しい事を始めたのは「書は人なり」という筆禅道の教えに惹かれてのことかもしれません。

フラワーアレンジメントも 作品に「その人」が出ます。同じ花材で同じ時に作っても 皆さん様々な出来上がりです。きっと、どんな事でも同じなのだと思います。己を整えてこそ、表現したものに美しいエネルギーが宿るのでしょうね。

だから、私にとっては 書が心の修行になっています。筆禅道では 字の形ではなく 墨色や線の質の良し悪しが評価されます。…まだ私には よく分かりませんが、最初から 線の質が良いと評価いただけたことが嬉しくて続いているような気がします。(どこがどう良いのか自分自身のも分かりませんが)

この経験は、私がお花を教える機会にも 日常的にも活かしたいと思っていることです。

本質的な事で優れていることは、最初から言葉で伝えてあげようと意識しています。そして、己の役割を果たせば、縁は繋がる という「花無心」の教えに沿うとすれば 人の優れているところ、美点がすぐ見える私の役割が ここにあるように思うのです。

美点を褒めて、本人に伝える。…花好きから 筆禅道に出会い 自分の役割に気付くことができました。人生って面白いです。 心の修行はまだまだ続きます。

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