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優しさは最強。教育者 淵澤能恵さんをご存知?
お花が大好きです。
どの花も一期一会、本当に一生で一度の出逢い…気に入った品種でも 次に仕入れた時は同じ名前の『違う花』です。
出逢った時から 近いお別れが決まっています。
ずっときれいに咲いていて欲しい、少しでも長く一緒にいたい…そう思うのは自然なことですね。
同じ条件で手にしたお花なのに、挿し手によって花持ちが異なることがあるのは…『優しい』気持ちの差だと思っています。
普段はお花とご縁が少なくても 卒業や送別で花束をもらう方が多い季節。
今日は気温も高くなっていますので、花瓶のお水を変えて茎を切り戻してあげると お花たちが喜びます。そういう優しさ。
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人間だって、目を掛け 優しさで包まれたら輝けるけれど、放置されたらクサるよねって思っていたところ…ラジオから 淵澤能恵さんという日韓の女子教育に一生を捧げた 花巻出身のレジェンドの人生を紹介する内容が聴こえてきました。
無知な私は こんなスゴい女性の存在を知らないまま呑気に生きていました。
聴きながら涙が溢れました。
淵澤能恵(ふちざわのえ)女史
1850年に生まれ 重なる災厄で生後9ヶ月に養子に出される。
幼少から賢く 家の手伝いも良くする子だったこともあり 養父母に大切に育てられる。
「学問をすると人は優しくなる。いろんなことを知れば知るほど、自分が何も知らないことに気づく。だから謙虚になる。奢らない、威張らない。全てのものに感謝できるようになる。優しいってことは、この世で一番大切なことなんだよ。」と、養父の教え。
6歳の時に養父が亡くなるも「どんなことがあっても、能恵は手放してはいけない。ひとりぼっちにしてはいけない。」という遺言を守り続け、再婚先にも能恵を連れて嫁ぎ学業を続けさせた養母。
どんな状況でも学問を続け、外国人宅のお手伝いさんをし、渡米、帰国後も学び続け、数々の女学校で教師を勤め、なんと55歳の時に朝鮮へ渡り、淑明女学校を創立。朝鮮の女子教育に残りの人生を捧げた偉人。従七位勲六等宝冠章、東亜日報教育功労ほか各功労賞受賞。86歳永眠。
東京FM『yes!〜明日への便り〜』長塚圭史さんのいい声な番組
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江戸時代生まれの女性に こんなグローバルな活躍をした方がいらしたとは驚きです。
知らなかったということは、まさに能恵さんの養父の教えの通り『自分が何も知らないことに気づき、謙虚に』ならなきゃと痛感します。
養父の教えの『優しいってことはこの世でいちばん大切』を一生大切に、向学心を持ち続けて世の中を変えていった能恵さん。日韓関係の厳しい中でも調整役として様々な問題解決に尽力されたようです。
血の繋がりのない養父母に、実の親子以上に愛情を注がれて育ったから 持って生まれた才能を活かすことができたのでしょうね。
優しくされた恩というのは、人生の大きな支えになるのでしょう。
私には偉業は成し遂げられないけれど、人に優しくすることは 今からでも出来ることだと思うのでした。
あ、お花にも優しさを…。わかりやすく 美しく長持ちしてくれます。
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