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初めて尽くしのフランス
私の忘れられない旅は、人生初の自分で旅費も貯めて、
出かけたフランス行きだ。
大学2年生の春、たまたま学校で見かけた掲示板に
載っていた日仏文化協会の短期留学だった。
仏語は第二外国語レベルだったが、私にとって
フランス、特にパリは馴染み深いものだった。
そう、当時私は、ガチ勢のヅカファンだった。これで
納得頂けると思う。
到着してすぐ、南フランスに3日ほどのプチ旅行の
オプションで付いていた。欲張りな私は、もちろん
参加した。
実は…宝塚の舞台のような明るい空は見られず(行ったの
冬だし)、到着したばかりのパリの空は、低く重めの
雲が垂れこめていた。私の心は、初めての海外と
知らない人ばかりで、この時になって凹んでいた。
南フランスでは、モナコ・ニースの「カルナバル
(カーニバル)」・シャガール美術館・
モンサンミッシェルに行った。
ニースのカーニバルの大きなモニュメントは印象的
だった。シャガールは恥ずかしながら、初めましてで、
大きなキャンバスに描かれた対象物たちの色使いに圧倒
された。モンサンミッシェルみたいなかわいい町には、
行ったこともなかったから、大興奮した。昔私が大好き
だった本、『霧のむこうのふしぎな町 』(柏葉幸子作)
を連想した。町で友だちと入ったお店では、「又、
おいで」とキーホルダーをくれた。すごく嬉しくて、
実は今も持っている。南仏の人たちは陽気で、やさし
かった。
![](https://assets.st-note.com/img/1721612894885-H0xlnpRBO0.jpg?width=1200)
パリに戻った私は、学校に行きつつ(だいぶサボった
けど)、街中を観光した。
ルーブル美術館・オルセー美術館・オランジェリー
美術館、ベルサイユ宮殿、ミラボー橋、オペラ座は
外観だけなどなど。
なんせ貧乏学生でお金がなかったから、観光にお金を
なるべく回した。
朝は学生寮(アリアンスフランセーズパリ校)で、
クロワッサンとショコラかティオレ(ミルクティーの
濃厚なもの)でお腹を満たし、昼は「バーガーキング」
とかのジャンクフード、夜は寮の近所の中華料理で
テイクアウトだった。小腹がすけば、露店のクレープを
食べていた。
当時…年齢がバレちゃうけど、30年ほど前。
エッフェル塔のエレベータのガラスは、雨粒の跡とか
普通に残っていた。日本のきれいなガラス窓に慣れて
いた私には驚愕だった。
カフェはうっかり座るとボトムに前のお客さんの食べ
かすがつく始末だった。それはギャルソンさんが、
テーブルの上がきれいになればよい精神で下に落とす
だけの掃除方法だったからだと思う。
街を歩いていても、看板とかを掃除する人は、洗剤の
ついたモップを絞ってから掃除するわけじゃないから、
歩いている人に普通に降ってくる。日本では上から掃除
した水が落ちてくるなんてことは、経験したことが
なかったから、「自己責任」が身に着いた。ぼぉ~と
していてはいけない。ちっちゃいことだけど、何が
起こるかわかないのだ。
それは昔の話だろうし、今はそんなことないよ!って
怒られちゃうかもしれない大らかな昔の話!
「へぇ~」くらいで読んで頂けると幸いです。
ルーブル美術館は、それはそれはすばらしい美術館
だけど、駅舎を使用したオルセー美術館が私の推しだ。
印象派の絵もたくさん展示されている。オランジェリー
美術館は、モネの『水連』が多くあるし、パリは
美術館好きには最高な街だ。
ミラボー橋に行ったのは、ギョーム・アポリネールの
『ミラボー橋』のせいだ。実は宝塚の舞台で見た。
まぁ…ただの橋ではあるが、アポリネールとマリー・
ローランサンの恋話というか、アポリネールが振られる
話。マリー・ローランサンの気持ちが離れていくのを
悲しんだ詩だ。私は昼間に行ってしまったが、夕方に
行った方がアンニュイな気分なれるかも…
こうして今でも色々覚えているフランスの旅は、私が
海外旅行にハマった旅である。まだまだ知らないことが
多すぎる私だし、行きたい場所も山のようにあるけど、
フランスは絶対もう一度いってみたい国なのだ。
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