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2023年4月4日 入社式挨拶

入社おめでとうございます。
そしてクッポグラフィーを選んでくれて、ありがとうございます。

僕は社員として会社で働いたことがないので、入社式を経験したことがありません。だから、入社式でどんな話をすればよいか、それがこれから始まる皆の社会人生活においてどんな意味を持つのか、正直なところ僕にはあまり想像できません。

しかし、一つだけ皆と共通点があります。

それは、本格的に写真を始めたのが21歳になる年、ちょうど皆の年齢と同じくらいの頃だったということです。

早いものでそれから20年の月日がたちました。

これから社会人生活を歩み始めようとしている三人に、この20年間で僕が経験して学んだことを伝えたいと思います。

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これは僕が写真に出会った時の話、そしてウェディングフォトを始める前の話です。

大学二年生の後期。所属していたサークルは二年間でほぼ活動を終えるため、三年生から何をやろうかと考えていました。歴史専攻だった僕はある日、本屋でたまたま見つけた「パレスチナ」というシンプルなタイトルの新書を手にしました。

夜中、家で寝転がりながら何気なく昼間に買った本を読み始めると、時間も忘れて本の中の世界に引き込まれていきました。

もちろん僕は、パレスチナ問題のことを知っていました。しかしこの本を読み続けていくにつれ、「歴史的な出来事」と一括りにされていた事象の中で生きる人たちの生の声が、丁寧な取材と記述と写真を通して、僕の目に飛び込んできたのです。

昨日まで当たり前のように暮らしていた家を突然追い出されるのは、どんな気持ちなのか。
難民と呼ばれる人たちが何を思い、何を食べ、誰とどんな暮らしをしているか。
そんな現地の人も、僕たちも全く同じ人間で、友だちとくだらない話をしたり、愛する人がいたりするということ。

授業で歴史を知った気になっていた僕は、実は何も知らなかったのです。

本を読み終えた頃、著者のことを調べると「フォトジャーナリスト」という仕事をしている人だということがわかりました。その瞬間、僕はフォトジャーナリストになることを決意し、その日ヨドバシカメラが開く時間を待って、新宿に繰り出しました。

僕はなけなしの10万円で、ビギナー向けのマニュアルのフィルムカメラとキットレンズを買いました。それは、バイト代と奨学金のほぼすべてを飲み代に使っていた大学生に買える唯一のカメラでした。これが、僕が写真を始めることになったきっかけであり、クッポグラフィーがはじまったと言える瞬間です。

そして半年後、僕はパレスチナにいました。

フォトジャーナリストとしての仕事は、正直言って楽なものではありませんでした。

パレスチナで銃を向けられたことも、アフリカで警察に捕まりそうになったこともあります。

新卒から定年まで同じ会社に勤め続けた父親からは毎日のように、普通の仕事につくようにというメールが届きました。

それでも、同じようにドキュメンタリー写真を仕事にして生きていこうとしている仲間と出会い、5人でグループを作って写真展をしたり、冊子を作って販売したり、まだまだ自分たちは世界の誰からも知られていないけど、いつか自分たちの写真で世界を変えるんだと意気込み、本気でそれを信じていました。

ドキュメンタリー写真というのは、本当に人間力が試される仕事です。撮影をさせてもらう人は、紛争地で昨日爆撃にあって家を失った人、大切な人を亡くした人。それからアフリカではHIV/AIDSの蔓延によって親を失ったストリートキッズ。骨と皮だけになり余命数日をホスピスで過ごす人。そんな人たちに「写真を撮らせてください」と言ってカメラを向けるのです。

まっすぐな目で被写体を見つめ、向き合い、自分を許してもらって初めてシャッターを切ることができます。自分があと数日で死ぬかもしれない辛い時期に、どこの誰かもしらない人に写真を撮ってよいかと聞かれて、正気でいられる人がどれだけいるでしょうか。食べるものがなくて苦しんでいる少年から「写真なんか撮ってないで金をくれ」と言われたこともあります。ドキュメンタリーは、本来そういう写真なのです。

Aceh, Indonesia

そんな僕も大学を卒業して、それ以降インドネシアを取材したいと思い、大学を卒業した年の5月にインドネシアのジャカルタのすぐ南にあるデポという地域に引っ越しました。

日本人やアメリカ人が住む寮だと家賃2万円でお湯シャワー付き。僕はインドネシア語を勉強するためにここに来たんだからと、水シャワーもない家賃5,000円、インドネシアの学生しか住んでいない寮に決めました。

そのおかげもあってか、僕は半年で新聞やテレビを理解できるようになり、日常生活で困ることがなくなりました。

その後、ムンタワイ諸島という離島や、津波のあったスマトラ北端のアチェ州にある精神病院などでたくさんの写真を撮りました。

ムンタワイ諸島では、生まれて初めてのトレッキングを8時間。足の指10本すべてに豆ができて潰れるという経験をしました。弓矢で狩りをし、猿を食べるような生活をする人たちとともに1週間、寝食を共にしました。

Mentawai Islands, Indonesia

今までの話は、20年から15年前の話です。そして、この時の僕はウェディングフォトというものの存在すら知りませんでした。しかし、先ほどの話の全てが、今のクッポグラフィーの原点だと言えます。皆もそう感じたのではないでしょうか。

本気で心の底からドキュメンタリー写真に打ち込んだ経験。それが今のクッポグラフィーの写真を作っています。

そして、インドネシアに留学した経験が、いまたくさん海外から撮影に来ているインドネシアの新郎新婦と引き合わせてくれたり、Govindaをはじめとするインドネシアのフォトグラファー、そこから繋がってシンガポールなどアジアの国々のフォトグラファーとの繋がりを生んでくれました。

皆さんも、これから仕事をしていく上で、大変なこともあるでしょう。こんなこと意味があるのかなと思うこともあるかもしれません。

もしそれが、自分のやりたいことではなかったり、何かの条件が悪いことでやる価値がないかもしれないと思ってしまうことであれば、手放した方がいいでしょう。

しかし、もしそれが自分が夢中になれることや、この先何年も続けたいと思えることに少しでも関連していることであれば、とにかく今この一瞬一瞬、目の前のことに本気で向き合ってください。

きっとあなたが何かのきっかけで自分の人生を振り返った時に、あれもこれも、すべてが意味のある経験だったなと言えることを僕が約束します。

2023年4月4日
クッポグラフィー代表 久保真人


先輩ヘアメイクアーティストが、新入社員の3名にヘアメイクをしているところ
クッポのフローリストが皆のこと思い、一人ひとりの個性に合わせて作った世界に一つだけの花束をプレゼント
先輩フォトグラファーによる「心の支えになる写真」撮影タイム
決意表明

great photos by kuppography

クッポグラフィー
https://www.kuppography.co.jp/

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