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仕事によくないハマり方をした若手時代の話「書く習慣」1ヶ月チャレンジDay14

今日は「これまでに夢中になったモノやコト」について書きます。

以前の自分が夢中になったのは「仕事」です。

漫画やゲームなどにもハマりましたが、「仕事」にハマってしまった自分を振り返りたいと思います。

軽く自己紹介すると、30代男性、教員です。メンタルダウンを経験し、3年間休職しました。その後復職し、「5年後も笑って働く」を目標にしています。よろしくお願いします。


以前のnoteに書いたのですが、僕は完璧主義な人間です。人にガッカリされたくない気持ちが強く、ついつい頑張ってしまうタイプです。

教員になった頃、理想に燃えていた自分は、授業の準備や部活動の指導などを熱心に行っていました。

ただ、学校は授業と部活動だけでは回っていません。実際には、「校務分掌」と呼ばれる、学校を回す仕事たちがあります。

例えば、年休や出張の先生が出た場合に時間割の変更を考える担当がいます。僕の最初の仕事がこれでした。

勤務校は「若手の気配り」がさかんに行われていて、評価される項目のひとつになっていました(僕はそう感じました)。

例えば、会議が行われる少し前に教室に行き、椅子を並べるとか。会議に遅れた先生を「私呼びに行きます!」と真っ先に動くとか。

そこで「あの先生は動きが悪いねー」と誰かが言われるたびに、「あぁ、もっと早く動かないといけないんだな」と感じました。

しかし、1年目の自分はわからないことだらけ。1年間学校がどのように動いていくのか見通しが立たず、次に何の仕事に着手していいかわからず、「若手の気配り」どころではありませんでした。

同じような年代の先生はそれが上手くて、僕の動きに少しイライラしているように感じました。

仕事に慣れてきた頃、分掌の飲み会がありました。その場で話題になったのはA先生のこと。

A先生は昨年僕と同じ分掌だったのですが、次年度の希望調査で「○○だけは絶対にイヤです」と赤字で書いて辞めたそうです。その先生の代わりに入ってきたのが僕とのこと。

「あれは無いよね〜」「ガッカリした」という話に、僕は「そんな行動を取ると失望されるのだな。自分は気をつけよう」と思うのでした。


自分は、2年目も3年目もA先生が希望しなかった、忙しい分掌に残ることにしました。見通しを持ち、昨年よりもいい動きをしようと燃えました。だんだんと仕事も上手くなりました。

気づいた頃には僕は、仕事にハマっていました。授業でも、部活動でもない学校を回す仕事に。

そして、自分より後に入った後輩に「もっと先を見て自分から動いて!」と厳しく接するようになったのです。

自分が属していた組織の先生方はいい人たちでした。今でも好きです。でも、その先生たちの悪口の対象に自分がなりたくなかったのです。だから無理をした。

もっと評価されたかった。悪い評価をされたくなかった。

僕はいつの間にか、仕事に過剰適応していました。「やりがい」や「達成感」とはまた違う原動力で、仕事に夢中になってしまったのです。Thin is ワーカホリック。

ワーカホリックになった自分はいつまでも頑張り続けることができず、結果的にメンタルダウンしてしまい、職場に行けなくなりました。

「この○○という仕事でひどい扱いを受けたので、次年度は絶対にやりません」という趣旨のことを書いた、あの時のA先生の決断。

それは飲み会で笑われていた。僕も一緒に笑った。そういうものだと思った。

でも、今では尊敬をしています。「A先生は自分のやりたくないことを、勇気を持って断ったのだな」と思います。笑ったことを申し訳なく感じています。

他の仕事がどうかわかりませんが、自分の仕事の世界では、できる人にたくさんの仕事が集中し、重なります。

長く健康に働くためには、「その仕事は引き受けません」と意思表示をすることが大切です。たとえそれで、相手に失望されたとしても。

以前の自分は、「人に失望されることは絶対に避けるべきだ」という誤った信念を持っていました。その結果、不幸を招きました。

今の自分は、少しずつ仕事を断っています。人からガッカリされるのは気持ちのいいものではないですが、

「働き続けること」が組織にとっても、自分にとっても大事なことなので、そういう気持ちでひとつずつやっています。


長くなりましたが、今日は「これまでで夢中になったコト」について、少し自分の経験に寄せて書きました。

あなたは以前の僕にならないように気をつけてね。人からの評価を恐れ、ワーカホリックにならないように、気をつけてね。

と若い人には言いたいです。

長くなりましたのでこれで終わります!

おわり。

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