日々は続いていく。
2023年は2022年よりも死にたいと思うことが少なかったです。
2022年はその前の年よりも少なかったです。
望まなくても、望んでも私は変わっていくんだなと改めて実感しながら生きた1年だったような気がします。
相変わらず愛や命について考える日々でした。
考えなかった日はなかったんじゃないかなってくらいです。
愛を欲しがっていたような気がするけど
どうしようもなく愛で満たされてる、と
思うこともたくさんあって
命の消失を仕方ないことだね、と呟きながら
心のどこかで泣いていたこともたくさんあって
私の心はいつもたくさんの矛盾で満たされていました。
満たされて、満たされて、空虚になったりもしました。
でも心の中が綺麗に整理整頓されなくてもいいんだよって抱きしめられたこともありました。
だからか分からないけれど
永遠に対する憧憬は弱まった気がします。
それは物事や気持ちに対して
「これがずっと続けばいいなあ」って素直に思えた瞬間があったからかもしれません。
永遠って夢物語の中だけの話じゃないんだなと、
指先で触れられるものなんだなと感じられたような気がする。
だから少し安心したのかも。
終わりを嘆いて、永遠を願うことと
継続を願って、永遠を願うことは
違う。
私は自分の活動をよく「創作」と呼んだりするけれど、
私って創作活動をしてるんだろうか?ってたまに思ったりする。
創作って「初めて創り出すこと」って意味があります。
でも私の表現は創り出すとは程遠い気がします。
既に持っている透明な積み木を組み立てたり、積んだり、握りしめたり、溶かしたりして私は遊んでるじゃないかって思う。
そこには効率とか生産性とか意義とかそんな立派なものたちは存在してなくて
感じることをただ
面白がって、苦しがっては
強がって、弱がっているような気がします。
目指すべき場所も、目指したい場所も分からないまま、ただ生きて、書いてみたり、歌ってみたりしてる(最近はこっそり歌を作ったりしてるんだよ)。
そんな熱のない火の核に
「せめて伝えたいことくらいあってくれ」と願う日々でした、正直。
けれど「花が咲いた理由なんて、後付でいいんだよ」って、そんな詩を昔書いた気がして、
また筆をとったり、笑ったり、泣いたりして
淡々と、目まぐるしく回る人生を生きてる。
もしかしたら伝えたいことも届けたいことも
ないかもしれない
なにか、を生み出すだけの廃人になってしまうかもしれない
だけどもし良ければ
こんな人間もいるんだな、くらいの気持ちで
あなたが、
その場所から見守ってくれたら私はとても嬉しいです。
わがままなことは分かってるけど
このわがままは当分直せそうにないことも分かってるんです。
ごめんね。
変に気合いをいれてしまうと
重荷になっちゃう気もするから
2024年はもっと〜しよう!とか
こんな年にしたい!とかはここでは言わないどきます。( 心の中でひっそりと呟いときます)
でもね、これだけは言わせてください。
また明日ね、できれば明後日もね。
年が変わっても、変わらず、私は生きてるよ。
君はどう?
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