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彩りに憧れた指先

なんだかTwitterにも呟けないし、Instagramに投稿することでもない。
私の日常でぽつんと置かれた種を書き綴ってみることにする。
だから、多分支離滅裂になっているし着地点もまだ見えていない。

ヴァイオリニストはネイルをしない。できない。
小さい頃からヴァイオリンを弾くならマニキュアはダメです、と無言の圧があった。
夏休みになって学校もなく、少し羽を伸ばせる時にだけ許された指先に塗るマニキュア・ネイル。きらきら光る爪が嬉しかった。
それが小学校の時の思い出。

中学生になってからはペディキュアを好んだ。指には塗りにくいし、不器用だった私は上手に塗れなくて、利き手とは逆の左手でハケを持たなくてはいけない右手のネイルは色ムラやはみ出しばかり。その点、ペディキュアの足ならば利き手を使ってゆっくり塗れる。乾かすときも足を投げ出していれば手ほど気にならない。なんて思いながら夏休みや冬休みと長期休みのときは密かに色を楽しんでいた。

高校に入って音楽一筋の生活を送りはじめると、自分の指先が気になった。周りの友人たちは長時間の練習で指先が固くなったり、皮向けが…と少し自慢げに見せてくる。それに負けじと練習を重ね、指先を潰すかのように練習を続けていくと指先の感覚や爪の感覚が研ぎ澄まされてくる。少し前までは爪を切るタイミングは適当だったのに、コンサートから逆算していつ切るかを考えていたり、形や長さに敏感になり爪切りが手放せなくなったり。(常に爪切りを持ってる。さらには日本橋・木屋の爪切りの切れ味が良い!と聞いたのでいそいそと買いに走ったり)そんな過程の中で、ネイルという概念は真っ先に切り捨てられた。塗ることで少し指先が重いと感じる、爪が息をすることができなくなっているような気がして苦しい、とわずかな感覚な差をとことん探して削った。
それでも電車の中やふとした瞬間に目に入る彩られた指先をしている人に会うと、少なからず憧れる気持ちがあった。
切り捨てたと思っても憧れる気持ちは残り続ける。左手は気になるけど、右手なら大丈夫かなあ…と目立たない色を塗ってみたり。指輪のアクセサリーもあまり付けられないからと思い、悪目立ちしない程度のマニキュアを探してみたり。
きっと小さい頃はヴァイオリンの先生に見つかって怒られていたりしそうだったけれど、高校生になれば気付かれないし、何よりダメと制限する理由がない。ちょっとした悪戯心と嬉しさと密かに彩られる指先をみて喜んでいた。
別にヴァイオリニストがマニキュアを塗ってはいけないなんてルールはない。純粋に綺麗に指先を彩りたいなという気持ちだけで良いのにと、自分に植え付けられたネイルに対しての概念を疑ってみたり。
すっとまっすぐ伸びた爪は色が映えるけれど、練習によって平たくつぶれているようにも見える指先には色は似合わない気がすると思ってなかなかマニキュアを塗ることができなくなっていた。

ついこの間、何かの拍子に見つけた素敵な色のネイルポリッシュ。
ただの色ではなくて、「名付けられた色」のネイルに心惹かれた。題名がついていて一つの作品のような気がして。この色を、このひと言がついている色を指先にそっと塗ってみたら、何が起きるかな。そんな小さな期待が膨らんだものの、すでにSold Out。残念でした…と落ち込んだもののなぜか諦めが悪く、Twitterをチェックしていると新色の予約受付と再販のお知らせが。
滅多に予約合戦のようなものに興味を示さず、大体忘れている私が、リマインダーを設定して30分前くらいからPCの前に待機し、夕食を途中で中断しながら待ち続けた。
しかし、時刻になってもSold Outの表示は消えないまま。他の再販予定と出ていた色も変わらず。5分、10分、30分と粘って更新ボタンを押し続けるものの成果はなし。だんだんと気持ちも冷めてきてしまいPCから離れていった。それと同時に私の熱も冷め、深爪の指先に目を向ける。やっぱり似合わないのかなあ、やっぱり塗るタイミングもないし、と呟いてそっと憧れの気持ちをまた仕舞い直した。

右手で弦をはじいて弾く奏法をするときは、血豆ができるのが先か爪が欠けるのが先かというくらい酷使する。血豆は防げないけれど、爪を保護するためのものとしてマニキュアは役に立つこともある。
ぱっと指先に目を向けたときに色があったら自分のテンションも上がるのかな、そんなふうに思えば、自分の心を落ち着ける新しいアイテムとしてマニキュアをネイルを持っていてもいいのかもしれない。

ルール、伝統、規律。決まりごとはあってもそれを遵守することで守られるものと失われるものがある。ただのマニキュア・ネイルの話だけれども、何かに縛られていることに気が付かされる瞬間がある。別に誰も制限していないし、楽器に悪影響があるわけでもないことを、私はなぜこれまでためらってきたのだろう。自分がやりたいと思うこと、憧れていることを自分で遠ざけてしまっているようにも見えてくる。
小さいことだけれども、自分の素直な気持ちを忘れたくないなあと思った出来事。

Danke!

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