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ふわふわと漂い続ける、あの香り

目に見えない香りの記憶を辿っていることがある。

ずっと香水を纏うことが憧れだった。
小学生の頃あった授業参観の時に、母が教室に入ってきたことを振り返らずともすぐにわかった。教室内にふわっと漂う香水の香りで、「あ、母だ」とすぐにわかる。
それが私にとって誇らしかったし、着飾ってコテコテした輝きではなく、空間の輝きみたいなものを独り占めしている凛とした母の佇まいが好きだった。
私にとっての香水の始まりだった。

中学に入って、朝登校した時に友人にこんな風に話しかけられたことがあった。
「今日の朝、お父さんとすれ違ったよ!背が高くてかっこいい!」
はて?私はその友人の彼女に自分の父を紹介したことはなかったし、中学からの友人で父と面識はないはず。本当に私の父とすれ違ったのか、そしてなぜ私の父だと思ったのか、しばらく最大の謎だった。
週に何回か、その彼女は私の父と思われる人と登校中にすれ違っているらしい。少しずつ情報を聞き出し、父の朝ルーティンと照らし合わせると、辻褄も合ってくる。
しかし、なぜ彼女が私の父だと確信を持っていたのか。
答えは、「香水」だった。

「あなたと同じような、似たような香りがすれ違った時にした。」
彼女の言葉は私を驚愕させた。
(まあ思春期真っ盛りで反抗期全盛期の女の子が受け取る言葉ではないよな、と今振り返れば思うのだけれども。)
それにしてもなぜ私と父が同じ香りを身に纏っていたのだろうか。

毎朝、我が家には流れる香水の軌跡があった。
重くて、黒く照りがあるような、一度鼻が覚えると忘れられないような香り。
最初は苦手だった。
なんだこれは!?と鼻がひっくり返るような感覚の香りも、毎日同じ時間に同じ分量が空気に含まれていくと、次第に平日の朝が来たと思うようになる。
それが当たり前の日常へとなり、我が家のルーティーンでもあった。
寝坊しても、鼻がその香りを感知すれば、むくりと起きるようにもなった。
その香りを辿るようにして、中学生の時の私は朝の準備をしていた。時には香りを追いかけながら、時には香りを追い越しながら。
多分、自分では知らないうちにその香水の空気を私も身に纏っていたのだと思う。その無意識の香りを嗅ぎ分けた友人もすごいと思うけれど、私にとって「その香水=父」という香りが”存在”になった瞬間でもあった。

そんな過去の記憶を思い出していた。


この前、母に頼まれた香水を免税店で買って帰国した。
その時に隣り合わせに置いてあったのはあの香水瓶だった。
香りと名前しか知らない香り。
長い間避け続けてきた香りだった。二度と蘇ることを思い出したくない、と似たような香りを鼻が感知しないようにしてきた。
自分に香水を振りかけるのはルーティンとなり、それがいつしか他人の香りから守るバリアのようなものになっていた。それほどまで、他人の香りに過敏になっていた。
おもむろに、気まぐれに香水瓶を手に取った。
20代そこらで楽器を背負った学生に見向きもしない店員さんに、ここぞとばかりに感謝しながら、知っているようで知らない香水を眺めていた。
こんな香水瓶だったっけ、と蓋を開けて
そして、意を決してムエットに吹きかけた。

ただの香りが空中に霧散しただけだった。
空港の乾いた空気と他の香水と混ざり合わさって、嗅いだことのない知らない香りへと変化しただけだった。

それに落胆することはなかった。
少しだけほっとしたような気がした。
あの日常の風景は永遠で、誰も侵食できないものになった。
ただ、それだけだった。

香水は人の肌にのせられて初めて完成する。
瓶の中にある液体は未完成なままで、最後のピースをずっと待ち続けている。
完成することがない、それこそが永遠であり、穢されることなくそのままの時間を留めておける。
私にとって、その「永遠」が少しの慰めになりますように。

ずっと主の帰りを待ち侘びるEGOISTにこの小さな言葉たちを捧ぐ


終わりのない螺旋階段を経て見返す、足跡の言葉。
1年前はこんなことを書いていたんだ、とたくさん気づきがある。

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