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ラフォーレの広告問題を、広告代理店とゲーム会社の人が考察してみた

ラフォーレ原宿のテプラ広告が燃えて3日も経ったので、
他の人の意見が知りたいな、、、
みたいなノリでノートまでやって来た人たちに向けて考察を出してみます。
中の人は広告代理店とゲーム会社の人で、本案件には関わってません。

そもそもこれを書くきっかけになったのが、

「最近みんなビジュアルの類似性の方に目が行き過ぎてて、企画意図をまったく見てないなあ」

というちょっとした発見から来たものなので、もしこの記事を見て、少しでも視点が広がって物事が楽しくなったらいいなと、書き手としては思っています。

目次
1、そもそも今回のってパクリに入るのか考えてみる
2、企画意図で判断するって難しい
3、これからの広告やコンテンツについて


1、そもそも今回のってパクリに入るのか考えてみる

色々言う前にまずは比べてみます。
今回対象とするのは、ネットで一番挙げられていた二枚。これ以上比較対象を増やすと、

◆ 多くの人がこのニュースで見ていた物ではなくなる
◆ 言いたいことからズレる

ので、今回は触れません。
それではどうぞ。

「ええ、、、めっちゃ似てる」
って思った人がおそらく多いんじゃないかなぁと。
例えばカラフルな色。例えば、テプラという素材。例えば、情報量。
ビジュアル的な面で見れば、確実にグーグルもpinterestも速攻で関連画像でレコメンドしそうなくらいには共通点があります。酒井さんが作る作品は、テプラを使ったカラフルで密度のあるビジュアルが特徴。今回のラフォーレ広告も確かに同じ。

では、中身は?

まず、今回挙げられている酒井さんの作品をみてみると、そのほとんどが自分の名前が書かれたテプラで占められており、大きさや配置にほとんど意味を持ちません。こちらのインタビューにも書かれていますが、酒井さんは、苦手な文字やイラストを補うための自己表現ツールとしてのテプラに価値を見出し、芸術表現のツールにまで昇華させています。

一方、ラフォーレの広告はグランバザールに関わる説明で占められており、「グランバザール」「開催時期:1月23日(木)〜27日(月)」のような、客にとって重要な情報は大きく、出来るだけ内側に整理、配置されています。また外側には、「動きやすい服装でのご来館をおすすめします」「体育着やジャージでお越しくださいと言う意味ではありません」など、インスタグラムの企画意図で言及されている通り、コンビニのコーヒーメーカーの過剰説明に着想を得て作られた文章が並んでいます。つまり、テープの大きさから配置、文言までに意図があり、その着想はテプラが洗練されたものに過剰説明していた事例から生まれていることがわかります。

アート作品を言語化するのは極めて無粋だと理解しつつ両者を整理すると、

「テプラを、文字やイラストを自在にアウトプットできる自己表現ツール」
として活用したアート作品

「テプラを機能美を追求した機械やモノに対し、過剰な説明を付け加えられるツール」として活用し、極限まで洗練されたモノ=ラフォーレを過剰説明して魅力を伝える広告

になり、意図する内容と制作された経緯はまったく異なります。
なので、僕たちはパクリとは感じませんでした。

一応法律面で見ても、
テプラで何か作ることは、誰でもできるし誰でも思いつくこと(ありふれた表現)なので、

著作権法で言及されている「新しく作成したイラストや画像が、既存のイラストや画像に依拠して作成されたものか(依拠性)」には当たらないので問題はない、という結論になると思います。(法律の専門家ではないので、あくまで推論です)

大企業VS個人を応援したくなる構図なので、酒井さんを応援したくなる気持ちはとてもわかるのですが、
ツイッターで多く上がっていた

「ビジュアルが似てるからパクリだよ」

という意見は、
肌の色が似ているから黒人をゴリラに分類したグーグルの画像認識システムと同じ理屈ですごい暴論だし、双方の考えをまったくリスペクトしていないなと、心から思います。


2、企画意図で判断するって難しい

上の文章に納得しなかった人もいたと思います。中でも特に、
「テプラに色んなものを過剰説明するイメージなんてなかったわ馬鹿!」
とプリプリしている人に向けて書きます。

そうなんです。企画意図で判断するって滅茶苦茶難しいんです。

ぶっちゃけ、ラフォーレの広告がここまで燃えた背景って、

「テプラ=スタイリッシュな物を過剰説明するモノ」

という共通認識が予想以上になかったところにあったのでは、と思います。

恐らく、多くの人がテプラを使った広告を見た時、
「テプラを使ったカラフルでちょっとお茶目な作品」
と認識し、テプラを使った酒井さんの作品との比較画像を見て、結果パクったと感じてしまった。

この共通認識の問題、広告とゲーム業界ではかなり問題になっています。
ちょっと脱線しますが、広告、とりわけマスと言われるテレビCMは多くの人に届き、心を動かして認知を広げるのが役目です。人の心を動かすには、人々の共通認識に立った上で訴求して、共感してもらう必要があります。だからこそテレビCMでは、「木村拓哉」とか「ワンピース」や「桃太郎」など、みんなが知っているシチェーションや人物を使ったものが多く、それがウケやすい傾向があります。

ただ、近年、価値観とライフスタイルが急速に多様化しています。
年末に年賀状を出す景色は日常から消え始め、結婚式を挙げないのも当たり前になってきた上、個人がインターネットを駆使して自分の興味関心を深掘りして専門的になり、一部は超ハイコンテキスト、一部は超ローコンテキストになった結果、

世代を超えて当たり前と言える共通認識が加速度的に減少し、新たに産まれにくい状態になっているのです。

ゲーム業界(特に家庭用ゲーム)にも一応触れると、「有名作品の続編」とか「有名キャラのスピンオフ」を出すことが多いことや、「薬で回復」とか「敵倒すと戦利品がもらえる」等の仕組みが踏襲されることは、偏に共通認識の減少で爆発的ヒットが見込めるものが減っており、且つファンの超ハイコンテキスト化が同時に進んでいるからです。

(これにより、まったくゲームをやっていない人が参入しようとしても、共通認識で語られないものが多すぎて、よく分からずに離脱していってしまう、、、という状況も生み出されてしまっており、ゲーム業界でこの問題に苦しんでいる人はかなり多いです)

ちょっと脱線してしまいましたが今回のテプラの件に関して言うと、
プランナーが「テプラでめっちゃ説明している画像をマスは共通認識として知っている」
と誤認して作り始め、実情と乖離した状態で世間の目に触れたのが、そもそも事件の始まりだったように感じます。
結果、ビジュアルという一番わかりやすい部分でしか取っ付くことができず、炎上、、、という流れになったのではないのでしょうか。

3、これからの広告やコンテンツについて

恐らく、背景を知らずにビジュアルが似ているという理由で炎上する広告は、先の理由からこれからどんどん増えます。
そして、これは広告だけに収まらずに、漫画の演出や映画など、様々なコンテンツに波及して行くと思います。これを読んでいる人は当然遭遇するだろうし、ともすると当事者になるかもしれません。そんな時はどうか、ビジュアルだけではなく企画意図の部分にも目を向けてみてください。(企画意図も一緒だったら救いようはないですが)

どんな背景があり、どう思ったからその作品が制作されたかを知れば、必ず新たな知識を得られ、今までと違う視点や着眼点で物事を見ることができます。火に油を注ぐのではなく、燃えている素材を深掘りしてみる。すると多分、より世の中が面白くなるはずです。

ちょっと長くなってしまいましたが、少しでも誰かの役に立てれば幸いです。