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No.183/帰れる場所とは

2024.07.01

こんにちは、くのてつです。

関東圏での生活が8年目に突入、計10年になるので何となく馴染んでいる自分に違和感があります。

地元に帰ると帰ってきたぁー!と心底思えるのですが、なぜか今の家にはそんな感覚がなく…。

故郷って本当に大切なものだと感じさせてくれます。

この観点で自分が中学の恩師に教わり、今でも強烈に意識しているのが、この「帰る」と言う表現です。

人はそれぞれ拠点になる場所があり、そこに帰る訳ですが、自分の故郷、ルーツだけは生涯「帰る」という言葉の対象から外れることはありません。

今の居住地に辿り着くまでに、実家を離れて6回、拠点が変わっています。

その6箇所に「帰る」ことはもうありません。

自分が今いる場所も、おそらく10年後にはいません。

そうなると「帰る」場所ではなくなります。

自分の中では「帰る」ことのできる場所はとても尊いものだと思います。

前述の観点で言えば、帰る場所には必ず家族がいます。

そして親しい友や大切な先輩、恩師がいます。

そんな絆が必ずあるのだと思うのです。

つまり、「帰る場所」とは地理的、物理的な要素と一方で、情緒的はもの、人と人との繋がりという要素が欠かせないということでしょう。

自分はこう考えると合点がいきます。

母校に帰る、はいい例だと思います。

友や恩師と共に過ごした家族以外のコミュニティーである訳です。

そういう意味で本来学校が果たす役割はとても大きいはず。

でも今は不登校の子たちが多く、決して「帰る場所」には慣れていないのではないか…と感じるのです。

そんな子たちが「帰れる場所」って一体どこにあるのだろう…?

そんな疑問をここ最近ずっと持っていました。

「帰れる場所」を持たない子たちはどんな大人になっていくのだろう?

今の自分からは想像が難い…。

結局は誰かが、そんな場をつくらなければいけないのではないか?

そう考えることもしばしば。

簡単なことではないと痛いほど良く分かっているつもりではあるのですが。

それでも、もしかすると自分の力がいつか誰かのお役に立てる日が来るかもしれない。

その可能性は信じてみたいですよね。

世の中全員は拾い上げれないかもしれないけれど、世の中全体へのアプローチを考えることはできます。

誰もが帰れる場所であるHOME。

そこには友と過ごす、大人と過ごすより大きな絆がある。

そんな世界観が実現できる、そんな日が来るを待つ…ではなく、掴み取りにいきたいですね!

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