不安についてのノート

いま自分が過度に神経質になったり、不安の種を探すような真似をすすんでしてしまっているのは、もしかしたら「イラストレーターになれるのか?」という大きな不安がひとつ埋まってしまい、その分の不安をどこかにつくりだして、バランスをとろうとしているからなんじゃないか。そんなふうに考えてしまっていること自体が、なんだかとてもいびつなんだけど。

「これじゃなくてもいいや」という感覚をどこかで持ちながら長くしぶとく継続できるのが理想だと思ってきたのに(これだってもしかすると、あとづけの理屈にすぎないのかもしれない)、イラストを描くことは思いのほか深く実存と結びついてしまっている。いい具合に解きほぐして「いい加減」にならないと、苦しい時間がつづくだろう。

でも、そういった苦しさも含めた全部が出ているのが、いまの僕のイラストだという気もする。苦しさや弱さを外から眺められる状態にして、風にさらしておく。共有できるかたちにしておくことで、この社会、あるいは具体的な誰かと、なにか接点が生まれるかもしれない。可能性を開いておきたい。まだこの先が見たい。

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