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before LIFE

翌週に個展を控えた月曜、母方の祖母が亡くなりました。未明に亡くなったのを、朝の電話で知りました。3月ごろから元気がないことは聞いていましたが、なぜこのタイミング。でも、亡くなるのであればこの時期、という気もどこかでしていました。89歳。直近で大きな病気をしていたわけでもないので、自然ななりゆきではあります。

展示のまえの1〜2週間なんて、やることだらけで、とにかく作業に集中したい。失敗するかもしれないという緊張感が常につきまとい、眠りも浅い。個展のタイトルを「LIFE」と決めたのは昨年の秋でしたが、「LIFE」だなんていっておきながら、僕は祖母の通夜にも葬式にも行かず、展示の準備をつづけました。両親や弟は、それを当然のことのように、すんなりと受け入れてくれました。

名古屋の実家までは新幹線で2時間ですが、行き帰りと通夜か葬式の時間を考えると、やはり丸1日は作業が進まなくなる。結果的には、その1日を失っていたら、個展は不完全なものになってしまった可能性が高い。だから、祖母に会いに行かなかったことに後悔はありません。おかげで個展にいまの全力を傾けられた。考えていたことを100%、投入することができました。

個展は特に祖母には捧げませんし、祖母が力をくれた、とか、そういう考え方も安直だと思うので、するつもりはありません。僕ががんばった。祖母は亡くなった。本来バラバラな事象が、なぜかおなじタイミングで起きた。解釈はせずに、そのまま受けとめます。

もうひとつ。祖母が亡くなった日の深夜、たまたまつけていたテレビのニュース番組。芸能界の大物が生前おこなっていた加害(とそれに対する告発)について報じるニュースの中で、解説者として登場したのが、高校1年のときのクラスメイトでした。およそ20年ぶりに顔を見ました。ラグビー部だったあいつ。祖母が亡くなったこととはまったく関係がありませんが、なぜかおなじ日にそんなことがありました。

両親は通夜か葬式で、この3年間一度もかからなかったコロナにかかり、もともと母だけは日帰りで東京にやって来る予定だったのですが、それも中止になりました。いまはもう元気なので、心配はいりません。ただ、僕が1日だけでも名古屋に戻っていたら、一緒に感染していた可能性がかなりある。もしそうなっていたら、個展そのものが中止になったか、失敗していました。

スレスレでした。とはいえ、実際の作業にはそこまでスレスレ感はなく、過去のノウハウを活かして、準備はそれなりに順調に進みました。キャプションのスチレンボードをカッターで切るのも、これまででいちばんきれいにできました。スチレンボードは2mm厚が切りやすいです。もちろん、1mmだともっと切りやすいですが、少し心許なく感じる厚みです。

祖母を焼いた骨は、スカスカで、ほとんど残っていなかったそうです。僕が最後に会ったときよりずっと痩せていて、もともと小さいからだがさらに小さくなっていたと聞きます。思い浮かべようとしても、思い浮かべることができない。建て替えられるまえの母の実家の狭い居間で、日曜の夕方、家族みんなでごはんを食べているところばかり浮かんできます。夜、父の運転する車で帰るとき、まだ小さかった僕と弟に手を振って見送ってくれた祖母も、祖父も、もういません。

東京での生活が、人生のちょうど半分になりました。その年に「LIFE」なんてタイトルの個展を開く。これが人生の本番だなんて信じたくない日もたくさん過ごしてきましたが、これが本番でいい。そう思える日のために、僕は準備をしてきました。「LIFE」の日々が、そのときです。

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