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あれは”クラムボン”だったのか?

最近、米津さんの楽曲のレビューを書いている過程で、宮沢賢治作品に行き着いたりして思い出したりしたこと。
私は霊感があるわけでもないし、スピリチャルや宗教的なものには距離を置いている人間なんだけど、自分が幼少期にいくつか体験した不思議なことは今でも解明できないでいる。

4、5歳くらいのときだったと思う。
何をするわけでもなく、ぼーっとしていることが多かった。
自宅の階段を登りきったところに座っていた。
北側の壁上部に空いた大きな窓から、温かい陽がいっぱい差し込んでくる。
気持ちよく日向ぼっこしながら階段脇の白い壁を見ていると、時々現れるアレ。
1つが5mmくらい?で、パステルカラーのピンク、青、黄色、いろんな色の泡が絡まった塊のようになって壁伝いに泳いでいるようなアレ。
きれいだなーと思って目で追ってみる。
ゆっくり、ゆっくり、泡のようで。シャボン玉のようでもあり。
その泡のようなものがお互いに動き合っていて遊んでいるようでもあり。
私は楽しくてずっと見ていたかったのだけれど、いつしか消えてなくなる。
ちょっと経つと、また別のところからまた現れる。そして、また消える。
それが一つの遊びというか、不思議でキラキラを感じる体験だった。

いつの間にかソレを見ることはなくなっていた。
何年かして、ある時、小学校の国語の授業で宮沢賢治の「やまなし」というお話に出会い、その中にある「クラムボン」のところを読んだとき、「あ、これかもしれない」と思った。

授業では、先生から出された課題を覚えている。
「クラムボンは何か」ということと、「このやまなしのお話の続きを考えよう」というものだった。
結局、クラスの皆で考えたところでクラムボンの正体は分からなかったのだけれど、私は今もあのとき見たアレがクラムボンだったのかな、と思っている。
(現実的に考えると、幼少期は目の機能も発達段階だと思うので、もしかしたらその未熟な目の機能が起こした現象の一つなのかもしれないけれど…。)

そんな幼少期の不思議な経験を思い出すのは、宮沢賢治の作品と「となりのトトロ」。そして、今は米津さん作品にハマり中。


誰の役にも立たない、とりとめのない話でした。

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