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【平成といえば、3回死にかけたな私…あ、4回かも】~長野冬季五輪 出産編~

生まれてくる気配のない我が子達

2月も中旬となり、長野オリンピックも盛り上がりを見せていた。

双子を妊娠しているにもかかわらず、子ども達は出てくる気配がない。

双子だから、お腹が張るでしょう?とか、早産になりやすから気をつけて!と言われていたが、全くその兆候が見えないのだ…

ひたすら、お腹が大きくなっていくだけで、本当に生まれる日がくるのだろうか?と思うほど、何も起きないのである。

病室でやることがないので、病室から見える飛行機や新幹線を見ては「あなたはパイロットになって世界を飛びまわり、あなたは、初の女性新幹線運転士よ」と、お腹に声を掛けていた。

しかし、それに応える感じも無く、穏やかな時間が過ぎていった。

それにしても、これ以上お腹が大きくなってしまったら、着る物が無くなると思っていた朝、医師がやって来て

「もうこれ以上お腹に入れておくのは危険だから、人工的に陣痛を起こしましょう」

と、言ってきた。

出産は怖がっても仕方が無いから、なんとかなる精神で迎えるつもりでいたため、あまり出産時に向けての勉強をしていなかった私。

医師の言葉に「そうですね~」と、のんきに答え説明を聞く。

どうやら、陣痛促進剤を使って、陣痛を起こすのだとか。

点滴だとか、注射だとか、前回の入院で散々やってきたから、その程度にしか捉えていなかった「陣痛促進剤」。

午後から始めるというので、夫に連絡する。

「今夜生まれるかも」


立ち会い出産のつもりが…

夫は、仕事もそこそこに病院にやってきた。

一応立ち会い出産を希望していたためだ。

陣痛促進剤の投与が始まった。

同時にバルーンによる、産道を拡げる処置も行われた。

投与を始めてしばらくすると、今まで感じた事の無い、お腹の張りを感じるようになる。

「ううううっ」

「これが、陣痛というものなのか」

心の中で、この痛みが大きくなるのかと、一抹の不安を覚えながらも、出産への心づもりはできたつもりだった…

しばらくして、陣痛がどこかへ行ってしまうほどの、ある痛みに悩まされるまでは。


生まれるはずだった夜は、生死の境を彷徨うような痛みだった

陣痛をしばらく感じたが、それに追い打ちをかける、いやその痛みを追い抜くほどの痛みが頭を襲う!

頭が割れそうな痛みが、陣痛などどこかへ追いやってしまい、あまりの痛みにのたうち回った!

生まれるはずと、駆けつけた夫は、妻の頭痛に付き合わされる羽目になった。

看護師に「痛み止めをください」と言うも、我慢するように言われ…

「少し寝たらいいですよ」

と…

いや、こんなに頭が痛いのに、どうやって寝ろというのだ!

頭全体が割れそうだった!

永遠に続くと思われた痛みと闇。

こんな事は、覚悟していなかったと、後悔にも似た想いが痛みと共によぎる…

散々のたうち回り、体力も限界となった頃…


朝になった


私はもぬけの殻、放心状態

薬の効力が無くなったのか、頭痛は治まったが、脳内が空になったような…何も考えられず、ただ横たわるしかできなかった。

陣痛は全く感じなくなっていた。


数ヶ月後に、妊婦が脳出血により死亡したとのニュースを目にした。

陣痛促進剤を投与されていたそうだ。

このニュースに、私はゾッとした。

生きてて良かったと…


出産はというと

出産は、様々な処置が行われ、夕方4時頃に娘が、4時20分頃に息子が誕生した。

どうやら生まれた時間に、長野五輪で「新日の丸飛行隊」が金メダルを取ったのだとか。

出産自体も、死にそうな思いをしていたため、そんな事は全く知らない。


今、子ども達は無事成人した。

私は生きている。

これで良しとしよう。

<続く>

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