なぜ今私がSDGsをテーマとするのか?
このテーマって、最初知ったとき「当たり前のことじゃないか」くらいにしか思っていなかったのが正直なところだ。
誰しもが、人生の中で生きづらさを感じていると思う。私もそうだ。
例えば、難病患者だが内部疾患だから見た目はわかりにくいので、大腸全摘手術後にあった、子どもの予防接種の時「なんでお母さんが抱っこしないの?」と、担当医師に言われたこと。
確かに、子どもが暴れていたから、お母さんが抱っこした方が落ち着くと思ったのだろうが、「できるならやってる」と心でつぶやいたことを、今でも思い出す。
仕事探しでは、40代となった時「若い人からの指示を素直に聞いてくれない年齢」(直接言われたわけではないが、そんな感じのことを遠回しに言われた)といった理由から、書類で落とされることが多くなった。
それ以前の子育て中には、小さな子どもがいるからとパートタイムのものしか受け入れてもらえず、シングルマザーが生活の基盤となる働き方ができる場所がなかなか見つからない。
さらに遡ると、双子の赤ん坊を連れて電車とか乗るのが、2人で泣き始めたらどうしようとか、ベビーカー自体が重たいから、段差があったらどうしようとか、色々な理由で怖くて母子で出かけることがなかなかできなかったし。
車で出かけたら、一時停止を無視した男性運転の車に衝突され、私の車が塀に衝突したことがあった。そしたら塀の持ち主から私に過失があるように言われるわ……
入院してたら、後から入院してきた年配の人に「お母さんがこんなところで寝てちゃダメじゃない」と言われるわ…好きで入院してないし!
まだまだあるが、書き出したらきりがないので本題に戻ろう。
そんな経験をしていると「自分が気にしなければいい」モードとなり、そんな世の中を改善するといった取り組みに対して、「どうせ上辺だけ」と感心が持てなかったのだ。
では、なぜ今SDGsに感心を持つようになったかと言うと、子ども達が社会人になったことがある。
今までは「自分が我慢すれば良かった」が、子ども達が自立した今、同じ状況になる可能性を感じたからだ。
自分の経験を基に改善して行かなくては、先に進まないのではと。
それは小さな声でも、たくさんの人が声を上げれば大きなモノになる!
小さな声の積み重ねをして行かなくては、当たり前が当たり前にならない。
過去の経験と、これからの取り組みが、何かの力になるように。
私は、別宅でできる発信方法を考える。
まずは家賃…スポンサー誰かいないかな…
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