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皮膚と心を蝕む病気と生きる【元外交のグローバルキャリア】

2歳の頃から国を跨いでアトピー性皮膚炎と闘ってきた。
標準治療に転換し、医師と並走し、正しい情報を収集している今は、皮膚に振り回されずに生きている。今日、こんな貴重な本があることを知った。

デュピクセント(Dupilumap)を発売と同時に注射し始めて早7年だ。これが特効薬だとは言わない。薬が合わなかったり、副反応の結膜炎で治療継続を断念した人も知っている。

標準治療に辿り着くまで

幼い頃からステロイド軟膏の使用を敬遠し、医療機関から遠ざかっていた。民間療法や漢方薬、野口整体に頼って、社会人となった。
自分の意思で皮膚科への通院し始めた25年ほど前に抗ヒスタミン剤と抗アレルギー剤服用を始めた。一定期間は効果がみられ10年は続けた。
2005年頃、顔面の発疹が現れた最中に診療室の内科医に「娘が使ってるけど、首なんかすっきりきれいになりますよ。」とプロトピック(tacrolimus)を勧められた。

数ヶ月の躊躇の後に皮膚科医に処方してもらった。プロトピックを塗ると、皮膚炎が悪化したかと思うくらい痒くて火照る。三日間それに耐えると、拍子抜けするくらいに皮膚がきれいになった。使用後、ブラックボックス警告と発癌性について皮膚科医に訊くと、「聞かれると思った」と苦笑しながら発癌可能性の低さのエビデンスを示した。

ステロイドを恐れない

ステロイド軟膏(corticosteroids)を使うまでにはそれから10年はかかった。軟膏の強度を身体の部位の吸収度に合わせて塗る。ステロイド軟膏は1日2回まで、指の一関節分を掌二つ単位に見立てて皮膚の表面に塗布する。時には濡れた綿製品で塗布箇所を覆って浸透を促す(wet wrap)。継続して2週間塗布したら2週間休んで、皮膚が薄くなるのを防ぐ。顔、鼠蹊部、粘膜は皮膚が薄くて浸透が高いのでステロイドは使わない。

最近は指にだけ湿疹ができるので、早めに強度の高い軟膏clobetasolを塗る。我慢は禁物だ。

内服用ステロイドのプレドニゾン (prednisone)は、なぜか自分には効力を発揮しない。長年のステロイド忌避で脳と身体が受け付けないのか、炎症鎮静に広く使われるこの薬は、数年を挟んだ二度のクールともに効かなかった。

生物学的製剤の治験に参加

2013年に転勤先のシカゴで皮膚炎が悪化して、皮膚科医をネットで探した。予約が取れた医師は、皮膚の治療だけでなく私が楽になるように親身に向き合ってくれた。この医師が、紫外線治療が効かなくなり治療に行き詰まった時に、生物学的製剤の治験参加への道筋を作ってくれた。目当ては評判の良いデュピクセントだったが、第二臨床試験は早々に応募が締め切られてしまった。その後別のインターロイキンの生物学的製剤に応募したが、条件が合わずに参加が見送られた。忘れた頃にJAK阻害剤内服薬の第二臨床試験の参加が決まった。

市場にさえ出ていない生物学的製剤の治験参加には当然不安があった。主治医はもちろん友人の癌細胞基礎研究者に安全性を保証されて参加に踏み切った。職場のそばのノースウエスタン大学病院に通い、自分の皮膚、血液、心電図に睡眠データまで製薬研究に捧げた。二重盲検試験(double blind試験)だったが、偽薬ではなく少量投薬量の方だっただろう、と治験担当医と推察した。

アドボカシー団体の全米湿疹協会

医師が見つかるまでの間、見つかってからも頼りになったのは National Eczema Association 全米湿疹協会のウェブサイトだ。科学的根拠に基づいた情報の発信、患者のコミュニティ作り、研究支援、米政府へのアドボカシーを担う。

毎年Eczema Expo 湿疹万博が開催され、医療関係者、製薬会社、患者とその家族が集う。今年はコロラド州デンバーで6月末に開催される。そこはアトピー最新研究の宝庫だ。研究発表、パネルディスカッション、分科会でさまざまな議論が交わされる。一つの意見の押し付けではない。たくさんの考え方を提示し、お互いにそれを尊重し合い認め合う場だ。

コロラドはちょっと遠いが、日本の医療関係者、製薬会社関係者、アトピーと闘う人にも参加をお勧めしたい。同協会の協賛製薬会社で日本に支社がある企業で同時通訳をアレンジして、日本から医療関係者が参加するに値する会だ。私も久しぶりに主治医に挨拶しに、アトピー仲間に会いに、デンバーに行ってこようかと思っている。できることがあれば、正しいアトピー性皮膚炎治療の情報の普及にぜひ一役買いたい。


標準治療以前

標準治療での適切な治療が見つかる前は、完治したかと思った時期もあるが、予測不能な皮膚の状態次第で時に動きが取れなくなる45年間だった。私は血だらけで、尋常でない痒みと破れた皮膚の痛みや自己嫌悪を抱えて生きてきた。

キャリアの上では、病気を理由に退職したことはないし、何かを諦めたという思いはない。

社会人4年目で、全身滲出液に覆われ体力を消耗して、出勤ができなくなり温泉療法治療の病院に3ヶ月間入院した。まだ標準治療とステロイド恐怖症な頃である。自分はステロイドを使用していないのに、ステロイド離脱症状の患者と同じ状態であることが腑に落ちなかった。職場では、出向先から戻ったばかりで戦力でもなく、3ヶ月の病欠取得は難しくなかった。幸いに労働組合も充実した広告代理店だった。

入院中は、毎日玉川温泉の泉質を模した希硫酸と硫黄のお湯に浸かった。亜鉛華軟膏で真っ白になりながら、皮膚と身体と心の回復を待った。
おそらくブリーチバス(bleach bath)の原理で表皮の細菌を滅菌しながら、転地療法で交感神経の高まりを抑え治癒したのだろう。しかし、炎症が起きるたびに3ヶ月も仕事を休んではいられない。その後は調子が悪くなると週末は新幹線に乗って強塩泉での湯治に向かった。

その3年後に再入院となった。皮膚の再生に28日かかるから3クールが基本治療、と渋る医師を説得して再度温泉療法と古式軟膏治療を行った。転職先のアメリカ大使館での4週間の病欠だった。

外務省に入って最初の部署でも、適応の苦労を肌が燃え上がってアピールした。セロトニンのバランスが乱れ、疲弊しているのに入眠時に目が冴える。その後布団の中で全身を痒みが襲う。長い1日の終わりに休息できるはずの布団での時間が怖かった。二週間の病欠で身体を休め、皮膚炎を落ち着かせた。

復帰しても良くなったり悪くなったりを繰り返すが勤務は続けていた。国連の会議に出席するための出張では、痒みに耐えて1日を過ごし、ホテルで仕事着と共に自分の肌を脱ぎたかった。昼食会を後にした時には、白いジャケットに滲出液が染み出していた。 

先天性の遺伝子フィラグリン異常

話を10年前のシカゴに戻すと、皮膚のバリア機能をつくるフィラグリン、タンパク質を作る遺伝子に異常があるので私のアトピー性皮膚炎は完治するものではない、と皮膚科医から言われた。週に3回出勤前にバスに乗って受けていた紫外線療法も2クール目で効果が落ち、新たな治療法を模索するために転院した時だ。

先天性異常と聞き、なぜか肩の荷が下りた。いつか治る、いつ治るのかと待つことはない。大人になったら治る、子供を産めば治る、と言われ続け、民間療法を試し、医療機関を渡り歩いた過去を振り返った。

それをやさしく伝えてくれた皮膚科医は、次から次へとアトピー性皮膚炎に関する医学論文を発表し、製薬研究にも携わる。自ら代替療法も理解しようと、鍼治療の資格を持つし情報も取る。本人もお子さんも罹患者ではないが、アトピー患者に寄り添っている。隔月で土曜日の診療後、アトピー患者の会を主催する。医療行為を行わない非公式な場で患者同士の対話を促すのだ。ときおり医学的見解を加えるのみで、私のようなベテラン患者が新参者の悩みを聞き治療体験を共有し支えあう場を作る。

その医師や患者の会に勧められてEczema Expoに参加するようになった。アトピー性皮膚炎について学び、啓蒙活動に参加することで先天性異常に対する無力感も多少なりとも克服できる。

キャリアの上では、病欠制度のある組織に助けられた。おかげで病気を理由に退職したことはないし、何かを諦めたという思いはない。
ヨガやマインドフルネスも生活に取り入れて自己管理に努めた。

治療の最中に「タフだね、You are a tough one. 」とシカゴの皮膚科医二人に苦笑された。我慢しないで、もっと身体を楽にさせて良いんだよ、と。
アトピー患者は我慢に慣れている。これくらいの肌荒れなら大丈夫、痒みに耐える、まだ投薬なしでいける。


健康に自信がついて、私は組織から離れる決心がついたのだろう。


私たちアトピー患者は繊細で芯が強い。その気になればなんだって出来る。

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