Tomo Kunimitsu

人生の目標は,35歳で結核に倒れることです.

Tomo Kunimitsu

人生の目標は,35歳で結核に倒れることです.

最近の記事

  • 固定された記事

2024年,22歳の春.

 中学校卒業後に就職する人間は0.1%,高校卒業後に就職する人間は17%程存在する.彼らは22歳の春を.引き続き社会人として迎えているはずだ.  或いは,高校を3年で卒業し,浪人することなく四年制大学へ行く人間は,四学年を滞りなく過ごすことで22歳の春を迎える.この時76%の人間が,正規か非正規か何かしらの職に就き,12%程の人間が大学院へ進学してゆく.残りの12%はどうしたんですか.  こうしたデータを見ると,22歳の春は一定数の人間にとって,社会的立場を決定する最初のタイ

    • プロは死ぬ,アマチュアは止まらない.

       14歳の時から写真を撮り続けている.初めてカメラを買ったのは2016年の10月9日,誕生日の一週間前だった.飽き性の私には珍しく8年続くこの趣味は,私をテーマパークオタクにしたり,大学に入学させたりと,随分人生を変えるきっかけになったように思う.  撮影した写真の多くは自分で鑑賞して楽しむだけのコレクションとなるが,特に気に入ったものがあれば集めて一人で展示を行う.そこではいくつかの作品が売れていくが,この利益は展示にかかる手間と費用で大抵赤字になる.だが私はアマチュアで

      • 8月もろとも.

         とにかく疲れていたんだと思う.  6月18日.セントレア空港に降りた時の空気はさわやかだった.息もできないような湿度の沖縄から帰ってきたのだ.本州とはこんなに快適な場所だったのかと考えていた.  家に帰ると空気は一層冷たくなった.とても半袖ではいられないほど,肌寒く感じる.体がだるく,微熱も出ていた.成程,肌寒さの原因はこれだったのか.旅の疲れが出たのだろう.その日は早く寝た.  その後5週間に渡って,体温は上がったり下がったりを繰り返し続けた.  7月15日.体調

        • モノを作ること≠芸術

           すべてのモノの捉えられ方は,製作者の意図と関係なく,鑑賞者の心持ち次第である.その鑑賞者が制作者自身であっても,だ.  モノを作ることと芸術には一切関連がない.作られたモノが芸術であるかどうかは、作り手ではなく第三者によって決められる.作り手がモノを作る過程において,それが芸術であるかどうかを意識することはない.  反対に,モノを芸術の文脈に位置づけることを目的とすることはモノ作りとは呼ばない.だが残念なことに,このような動機をもってモノを作る人間が一定数存在する.彼ら

        • 固定された記事

        2024年,22歳の春.

          モノを作る,ということ.

           ヤーコプ・フォン・ユクスキュルは,すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きている環世界の概念を唱えた.これと同じように,ヒトの中でもまた個体ごとに,環世界がわずかに異なっている.  凡そヒト一個体の世界認識では,この世界の本当の姿を正しく捉えることができないだろう.私達はこの誤った認識の元に,描く,歌う,踊るといった行為を通して,世界の本来の姿とは異なったモノを生み出している.つまりモノ作りとは,自分が見ている世界の表現である.  この行為には必然的に,自分が

          モノを作る,ということ.

          2022年6月30日

          うみはひろいか,おおきいか.

           私が見ているか見ていないかに関わらず,海は動き続けている.当たり前のことなのだが,不思議に思わずにはいられない.人生のほぼ全ての時間を海が見えない場所で過ごしてきた私にとって,海は未知の世界だ.  海を前に立つと,死が近いことを全身で感じる.この水に落ちれば,ヒトの力などまるで意味をなさないだろうという予感.この波に飲まれたら,確実に助からないという恐怖.  何がこの大きな波を作り出しているのか.それが海上の風や月の引力によるものと頭では理解していても,自然の力を面前にし

          うみはひろいか,おおきいか.

          あなただけの時間を,いかがですか.

           昨日は朝のバラ園に出掛けていた.楽しみにしていたバラの香りは思った程感じられず,匂いに過敏だった幼少期と比べて,嗅覚が劣化していると認識せざるを得なかった.  これを成長と捉えるか,或いは喫煙による悪影響か…などと考えてながら歩いていると,広い芝生の中で一人,ヨガをしている女性を見つけた.彼女は周りを気にすることなく,気持ちよさそうにポーズを行っていた.  そこは完全に彼女だけの世界で,彼女だけの時間が流れていた.  私が最初に味わった煙草は両切りのピース.祖父が好んで

          あなただけの時間を,いかがですか.

          夜が閉じて,夜が明ける.

           朝方の時間が大好きだ.元々人混みが苦手な私にとって,混雑を回避して出掛けられる貴重な時間である.が,それ以上に何か,私自身に訴えかけるものがこの時間にはあるように思う.  思い返すと中学生の頃からそうだった.夏休みには午前4時頃に起きて,まだ薄暗い空を眺めながら,一匹,また一匹と鳴き始めるヒグラシの声を聞いていた.もちろん高校生になっても同じ.少し厚手の上着を持って,まだ車通りの少ない道路をバイクで走る時間が好きだった.  薄明に消えていく星を眺める時間.透明な空を背景

          夜が閉じて,夜が明ける.

          学生気分ではなく,学生です.

           社会人を続けながら高等教育機関に在籍する選択は,自分の視野を広める機会になると同時に,ていのいい言い訳にもなった.就労形態や仕事の内容に満足していない職に就いていることを正当化する為に,勤労学生の名分を用いることは,少なくとも私にとっては有効に機能している.  いつまでも非正規の仕事を続けることは,私にとって納得できる生き方ではない.だがしかし,今すぐに別の仕事を選択する勇気もなければ,正規雇用の社会人として責任を負う覚悟もない.20歳の私にあったのは,仕事を続けながらで

          学生気分ではなく,学生です.