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卵が先かニワトリが先か。

珍しく覚えていることがあります。
大学受験の受験対策、現代文で
「思考が先か、言葉が先か」という内容の問題文がありました。
当時問題を解きながらも…いや、問題はそっちのけで
面白いなぁと思いながら読んでいました。

さて、みなさんはどちらだと思いますか?
思考が先?言葉が先?

その現代文では
「思考が先だと思われがちだが、言葉が先だ」というようなニュアンスでした。

ほぉ。

当時高校生、当たり前に思考が先だと思っていたけれど、言われてみて
「ん?言葉が先かもしれない。」
と思ったことを思い出しました。

あまり良い例ではありませんが…

例えば”不登校”という言葉。
私(34歳)が小学校、中学校の頃は不登校という言葉はありませんでした。
言うなれば”あまり学校来なくて、たまに顔出すクラスの友だち”くらいでしょうか。
でも”あまり学校来なくて、たまに顔出すクラスの友だち”は不登校の子となんら状況は変わりません。
でも、不登校という言葉が頻繁に使われるようになってから
”あまり学校来なくて、たまに顔出すクラスの友だち”の数は増え、更に”たまに顔出す”こともなくなり、完全に来なくなってしまう子が多いのかななんて思ったりします。

何が言いたいかというと、”不登校”という言葉が不登校をつくり出してしまったということです。
勿論、どちらかというとネガティブな言葉ですから、不登校の質が高まる?…質も濃く?なっていったようにも思います。

その言葉が有るが故に、新たな思考が作られる。


先日、Voicyのワーママはるさんが肩書きの話をされていました。

私は肩書きがあります。
楽しい大人代表
健康教育家
健康ヲタク
の三つです。

恥ずかしながら、誰に言われたわけではなく自分でつけました。

もう自分に肩書きをつけて1~2年程になりますが
じゃあ2年前に「楽しい大人」だったかと言ったらそうじゃなく
「楽しい大人でいたいな」
という理想です。

ほぼ、毎日使うこの肩書き。
今自分はどうであるかというとおそらく
楽しい大人であり、
健康教育家のような活動をし、
健康ヲタクであります。

おそらくこの先も使い続けて、どうしたらそのようになれるのかは模索していくと思います。

これも「言葉が先」ではないでしょうか。


残念ながら、心理学でいうと悪い噂の方が流れやすいんですってね。
ということは人間、悪いことの方が楽しいと思ってしまう習性があるってことですね。

そうやって悪い言葉が作られてしまうと
悪い思考も作られてしまう。

言葉の威力は思っている以上に強大だ。


美しい唇である為には、美しい言葉を使いなさい。
オードリー・ヘップバーン

治療費にあてさせていただきます。大事に使わせていただきます! そして皆様の健康に役立つ情報をお届けできるようにこれからも学び、発信し続けますので温かい目で見守ってほしいです\(^o^)/