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#1 チビも人なり~「170cmないと人権なし」発言について

クニラは残念な事に身長が170cmない。
故に彼女から言わせれば、クニラは人としての権利がない事になってしまう。

少し前の話になるが、女性プロゲーマーがライブ配信中に「(身長が)170ないと、正直、人権ないんで」と発言、それが問題視されて、人身が所属するチームから契約解除されたのだが、この発言について書きます。

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その前に断っておきたいのが、クニラの身長が170cmに満たないから、この記事を書くのではない。
もし、クニラが女性プロゲーマー本人に面と向かって直接この発言を言われたとしたら、「コラァー!(笑)」ぐらいなものだ。
もちろん、直接言われたら、立ち直れないぐらい傷つく男性もいるのかもしれないが。

では、なぜ、この発言が問題なのかと言えば、配信とは言え公の放送であり、それが不特定多数(限定ではあるが)に向けた発言だからである。

それにしても、よくこの程度の騒ぎで収まったと思う。
もし、これが一神教世界のハリウッドスターの発言であったら、大変な事になっていたはずである。

女性プロゲーマーの知名度や社会的地位、そして発信力や影響力の少なさ、そして、なにより、日本が多神教世界であり、彼女が日本人である事が身を助けたとも言える。

だからと言って、発言の内容は自身の契約を解除されたレベルで収まるものではない。

今まで、有名人や著名人達の失言や暴言の類いが数多取り沙汰されてきたが、今回の彼女の発言は他の失言や暴言と一線を画すと考えている。

その理由は2つある。

1つは、当たり前だが「人権」と言う言葉である。

この「人権」と言う言葉が、ネット世界や配信業界ではディス用語的なものであり、そこまで意味のあるものではない事は承知している。
もっと酷い言葉を使っている場合もあるぐらいだ。

だからと言って、何でもかんでも許される訳ではない。
冗談で済ます事の出来ない程、人類史にとって「人権」と言う言葉は重たいのである。

では、なぜ、「人権」と言う言葉を使った暴言が冗談では済まされないのか。

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単に「人権」と言っても、一神教の世界とそれ以外の世界では、捉え方は違う。

一神教の世界での「人権」とは神から与えられたものであるため、人は皆、神の前では平等であると言う思想である。

つまり、人としての権利は、国や他人から与えられたものではなく、神から与えられたものであるため、何人たりとも、それを奪う事も否定する事も出来ない。
これが一神教世界の人権に対する概念である。

故に「○○に人権がない」などと言う発言は、即ち「自分は神をも超越した存在である」と言っているに等しい。
「神をも超越」と言う事は、一神教世界の神を否定したと言う発言であり、その一言で、殺し合いとなる程の大暴言なのである。

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それでは、多神教の世界はどうか。
いや、多神教と言うより日本の話をしよう。

日本人にとっての「人権」に対する概念は、おそらく「ルール」ではないだろうか。
「人権」の有無そのものではなく、「人権」とはルールで保証されているものだと言う感覚。

「ルール」にも様々あるが、ここで言う「ルール」とは「憲法」や「法律」を指している。
「人権」即ち「人としての権利」とは、誰から貰ったものかは分からないが、とりあえず日本国が保証してくれていると言う認識。
少なくとも神が与えてくれてものとは思ってはいないだろう。

元々、日本人に「人権」などと言う概念はなく、「人権」と言う意識は太平洋戦争敗戦後であり、与えてくれたのはアメリカである。

与えられたとは言え、日本にとっての「人権」は約310万人の戦没者の犠牲の上に成り立っている事を忘れてはならい。

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他の多神教国だって、だいたい同じようなもの。
「人権」とは、民族が血を流して勝ち得てきた尊いものである。

一神教民族であれ、多神教民族であれ、世界の歴史、特に現代史は、我々人類が「人権」を勝ち取るための歴史。

そんな「人権」と言う言葉を一個人が他者に対して「無い」などと、たかがゲーム配信ごときでの悪口で、軽々しく使って良い言葉ではく、冗談では済まされない暴言なのだ。

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ここまで「人権が無い」と言う暴言が如何に重たいかについて書いたが、まだ「人権が無い」と言う悪口だけなら、もしかしたら冗談で済んだかもしれない。

他の失言や暴言と一線を画すと考えていると冒頭で書いたが、その一線を画す理由は、ただ単に「人権が無い」と言ったからだけではない。

そこで、もう1つの理由が重要となる。

もう1つの理由は「人権が無い」対象の数値を明確にしている事だ。

これは相当質が悪い。

仮に、この170cmと言う文言が「チビ」だった場合、もしかしたら冗談の範疇で収まったかもしれない。
(ただし、「人権」と言う言葉が、それを許さないのだが)

「チビ」だけではない。
「デブ」でも「ハゲ」でも「ブス」でも同様である。
それは上記の言葉が、あくまでも主観であり、だからこそ「チビ」と言う基準は人それぞれ違うのだと逃げられるからである。

これは、あくまで100歩譲っての話である。
酷い発言に変わりはない。

だが、今回の発言は、数値を明確にしてしまった事で、100歩も譲れなくなってしまった。

「170cmない」とは、つまり「170cm未満」であり、差別する人を明確に区分けしてた事となる。

そもそも数値を明確にして区分けすると言う事は、分かりやすく例外を認めないと言う宣言である。

例えば遊園地のアトラクションの制限が「小さい人は利用できません」だと判断が出来ないのと同じだ。
だから、どの遊園地でも「120cm以下はご乗車出来ません」等、数値を明確にして、ご丁寧に目盛りまで設置してある。

つまり女性プロゲーマーが言った事はこうなる。「私は、170cm未満の男性の人としての権利は認めません」
これは、客観的で誰もが判断可能な基準を明確にして、その対象者からは、人として大事なものを奪うと宣言しているのだ。

ただの暴言とはレベルが違う。
歴史上の悪名高き独裁者達となんら変わらない。
独裁者達が行ってきた虐殺の理由と同じなのだ。

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人は、大なり小なり、社会(組織)を作る上で、その社会に属する証として、必ず2つのものを与えられる。
それは「権利」と「義務」だ。

その一方の「権利」を奪われれば、残されるのは義務だけ。

彼女は170cm未満の男性の権利を奪い、どのような義務を課すつもりだったのだろうか。

恐ろしい暴言である。

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ここまで女性プロゲーマーが配信中に発した「(身長が)170ないと、正直、人権ないんで」と言う暴言が、如何に酷く、大問題なのかを2つの理由を挙げて書いてきた。

「そんな大袈裟な!」と思われるかもしれない。

そうです。
大袈裟に書いています。
極端に書いています。

正直に書けば、クニラはこの暴言を何とも思っていない。
なんなら、この国は戦後「人権」を重くし過ぎだとすら思っている。

クニラが書きたかった事は、今の日本は全てに対して極端な方向に偏りがちであるため、その反極に対して、または、自分が該当しない場合への発言は問題になりづらいと言う事を書きたかったのだ。

これは、とても危険な事である。

この女性プロゲーマーの暴言はあまりに極端であり「THE暴言」とも言える。

で、あるならば、この極端な暴言に対して、本来なら反極であるはずの世間から、もう少し大きいリアクションがあると思ったのだが、そうでもなかった。

あれだけ「人権」と言う言葉を偏重してきた世間なのに。

その一方で、某芸人の不倫騒動には大騒ぎ。
未だに騒ぎは続いている。

それだけではない。

喫煙に対するあり方やハラスメント、コンプライアンス等、やり過ぎだと思う程、世間は極端な反応を示すのに、この女性プロゲーマーの暴言には反応しない。

何故なら、170cm以上の男性や女性には暴言ではないからだ。
もしかしたら「分かる分かる」ぐらいに思っているのかもしれない。

つまり世間にとっての暴言とは「言葉の強さや卑劣さ」ではなく、誰に向けて発したかの方が重要なのだ。

それが暴言の本質である。

故に、クニラが挙げた理由の1つ「基準の明確化(170cm未満)」は、暴言の相手を限定した事になり、逆にこの世紀の暴言が薄らいだとも言える。

皮肉な話である。

おわり。






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