過去を振りかえる (父親編)

自分に子供が出来たことによって最近よく考える事がある。 いったい自分はどのような時間を過ごし、今の自分が出来上がったのだろうって。父親の存在が僕の人生に大きく影響していると思っているから。

自分が思い出せる範囲(記憶は都合よくすり替わっていくものだから 実際とは違うかもしれないが)で小さい時から順に思い出してみる。

両親は建築家で今は2歳離れた弟も建築の道に進んだので僕以外は 地元名古屋の父親の事務所で家族一緒に働いている。
父親は地元で少し有名な建築家で今はとてもリスペクトしているが 子供の頃はあまり仲良かった記憶がない。
とてもストイックな仕事人間で同時に少し変わってると思う。
小さい頃から 半強制的に建築家になれと我が子を育てていた。
小学生の頃 休みの日に連れて行かれるのは 父親が設計した現場(半日ほっとかれて一人鉄骨でジャングルジムのように遊ぶ)か美術館(子供には退屈で仕方ない)。 周りの友達がお父さんとしてたキャッチボール、サッカー、ファミコンなどは一度も一緒にした事がない。 ファミコンに関しては クリスマスに買ってもらったけど こっそり朝方4時に起きて暗闇の中 ファミコンをしてたら 急に部屋のドアが開き激怒した父親が立っていた。そのまま 配線が繋がってた本体を引きちぎられ二階の窓からファミコンを外に投げ捨てられ泣きながら残骸を拾い集めた。

小学生入学と同時に 僕たち家族はお父さんが設計した新しい家に引っ越した。動植物園の敷地の周りに広がる大自然の中にあり 家の横から森が広がってた。オモチャはあまり買ってもらえず、いつも自分で作れと言われていて 秘密基地や洞窟を作ったり、ターザンごっこやブーメランやスケボーなんかも木をナイフで削って作ってた。 犬が欲しいとお願いした時も 犬小屋を自分で作った。 (結局その時は犬を飼ってもらえなかったけど)

高校になると進路の事でたくさん喧嘩をした。 いつのまにか僕の心は 「建築家以外になりたい」となっていたから。
高校に入って僕はファッションの世界に目覚め、東京に服を買いに行ったり 奇抜な髪型にしたり スケボーしたりピアスしたりしてて 将来はファッショデザイナーになりたいとなんとなく思っていたが 親の気持ちも知っていたから言えなかった。
その頃の僕の夢は 将来の職業よりも 卒業したらすぐに東京に出て生活したいという方がでかく、 そのためには 大学に行く事が両親も喜ぶし最適な手段な気がしていた。 でも建築科には行きたくなかったのと(まず自分の学力的に不可能だったけど) 小さい頃から図工教室に通っていて美術は大好きだったので 美大の中にある 生活デザインを勉強するところなら 自分も親も納得できると考え そこに行くことにした。
が、 今 我が子を持つ身として 本当にバカで親不孝な息子すぎて申し訳ないが、入学式にもでず 1年の夏休みになる前に勝手に退学届を提出した。その後 何年か 父親から勘当され 、再び口を聞くようになったのは その後 フリーター、美容専門学校を出て 始めて働き出した表参道のサロンに父親がいきなりお客さんで来てからだ。



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