人はなぜ感動を求めるのか
人はなぜ、泣ける映画や綺麗な景色を見に行くのだろう。
ここ数年、「感動する」と評判の映画が度々SNSで話題になるのを目にする。
「ボヘミアン・ラプソディ」「君の名は」「アナ雪」 ・・・
「感動したから、2回も見に行っちゃった!」と話す友人がいた。
中には3回以上という人も。
僕も京都のお寺が好きで、雪が降った日の金閣寺の景色には甚く「感動」した。
金閣寺の雪景色は、実は一度見たことがあったが、
京都に雪が降った日に、「またあの景色が見られる!」と心をおどらせる自分がいた。
「どういうときに、人って感動するんだろう?」
「人はなぜ、感動を求めるだろう?」
最近考えていたそんなことを書いてみます。
目次
・人は、どんなときに感動するのか。
・人はなぜ、感動を求めるのだろう。
・心の揺れに素直になる。
人は、どんなときに感動するのか。
そもそも「感動」とは、「感情」が「動いている」状態。
感情つまり、「心の揺らぎ」が引き起こすもの。
僕は、感動とは、
心の揺らぎ × ギャップ
と表せるのではないか、と思う。
主人公の生き様に、心底格好良いと思う気持ち。お互いを純粋に想う心への憧れ。
「美しさ」「喜び」「悲しみ」「寂しさ」
平常でない気持ち、すべてが心の揺らぎと言えると思う。
感動とは、自分とこれらにギャップが大きいときに起こるのではないか。
・日常ではなかなか抱かない感情である
・自分の想像を超えていた
・想像もしていなかった
自分の持つ感情を、いつもと違う世界に連れて行くことで心が大きく揺らぐ。
またそれは、想像する範囲からのギャップがあることでも大きく揺らぐ。
普段イヤホンを通して聴くアーティストのライブに行き、生で見て聴いた時の心の揺れも、自分の認識やイメージとのギャップがあることで大きくなる。
人はなぜ、感動を求めるのだろう。
感動すると心が豊かになった気がする。
でも感動なんかしなくても、生きていくことはできる。
ではなぜ、同じ映画や景色を何度も観たくなるくらい、感動を求めるのだろう。
僕は、「心の揺れ」に対して、他のことを何も考えず受け入れられる状態になるから、ではないかと思う。
心の揺れが大きくなると、心の中が、美しいと思う感情や喜びでいっぱいになり、他のことを考える余裕がなくなる。
絶景を見て感動している瞬間、自分にとってネガティブなことなど忘れているはず。
この夢中になれる瞬間が、自分にとって最高に心地良い。
心の揺れに素直になる。
心が動き、何かに感動することは、自分にとって心地良い時間を作ることになる。
誰にも邪魔されず、自分の心に素直になれる空間。
「いいね」がもらえるか、インスタ映えするかは考えない。
そんな空間にいつでも連れて行ける、ゆとりを持った自分でいたい。
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