信じられていると信じること
奉仕生・寺の住み込み・精神科病院
一見ギョッとしてしまうかもしれませんが、本当の自分を探すための大切な時間でした。
個人的でちょっとセンシティブなお話になりますが、宜しければ引き続きお付き合いください。
では。
富士山麓の修行のような半年
高校の自主退学後は、静岡県御殿場市にある富士倫理学園に奉仕生として半年間の期間限定で入所しました。富士山麓の自然豊かな環境にある施設でした。
運営元である倫理研究所は、商売人である祖母や両親がその考え方を参考にしていたため、物心ついた頃から親しみがありました。
ディスコで踊り狂い、卒業直前で高校を自主退学したわたしでしたが、心の奥底でまっとうな生活を送りたいという想いがあったのだと思います。厳しい生活に身を置くことで、前向きに変われるかもしれないと希望を抱き、自ら足を踏み入れる決断をします。
この施設では、主に企業向け研修運営を補助するスタッフとして働きながら、規則正しい生活を求められました。入学条件は45分間の正座に耐えられるかどうか。それもそのはず、施設でのルーティンは以下の通りです。
早朝4時起き
洗面掃除
朝の集い
ランニング 7.5㌔
各班に分かれての研修運営
研修が無い時は、書道の稽古、勉強、正座、そして半端ない清掃。まるで甲子園を目指す高校球児のような規則正しい生活ですが、日本各地から集まった仲間たちと半年間ともに過ごしました。
ここでは青少年向けの【恩の遡源】という名物実習がありました。自分の命の源に遡って、両親をはじめ幾百千乗の恩の中に自分が生かされていることに想いをめぐらせ、受けた恩の自覚と感謝を全身全霊で深める内容です。
担当はY先生。先生はわたしの恩人です。
気温は氷点下、しんしんと冷えが身に染み渡る。静まりかえった闇夜のグランドで正座をします。凍てついた足先は感覚を失い、しびれも極限の至りの中、Y先生の凛とした声が闇夜に響き渡ります。
寺に住み込み般若心経を唱える日々
半年間に渡る修行のような生活を終え、実家のある名古屋に戻ってきました。厳しい修行に耐え、自信もついたと思っていたはずなのに、実家に帰った途端に緊張の糸がプツリと切れてしまいました。
学生時代の嫌な思い出ばかり浮かんでしまい、意気込んでいた気持ちはすっかりリセットされてしまいます。
周りの友人たちが進学や就職している様子を目の当たりにして、何者でもない自分に対して焦りが募っていきます。ついには学生時代と同じように拒食や過食を繰り返すようになってしまいました。
わたしを心配した祖母の伝手で、秩父にある由緒正しいお寺の和尚に住み込みで面倒をみてもらうことになりました。お寺に住み込み、般若心経を唱える毎日のはじまりです。
先に入所した施設の厳しさに慣れていたため、寺での生活はそれほど苦ではありませんでした。しかし、寺での生活は本質的な問題解決には至らず、自信を喪失した精神不安定な毎日は続いたままでした。
そこで和尚、両親や祖母の話し合いの元、東京都の外れにある精神科病院に入ります。わたしは、環境の良いおだやかな場所で療養できると聞いていたのですが、その事実は伏せられたまま、物事は進んでいきました。
ある日、詳しい事情も教えられず、訳も分からぬまま病院に連れられます。流れ作業のように診断を受け、主治医から注射を打たれ…
目が覚めたらそこは独房のような場所でした。
精神科病院で過ごした2年間
まさにスティーブ・マックイーンの「大脱走」で観た風景。騙されたと思った同時に、とてつもなく気が滅入ってしまいました。10日間をひとりきりで過ごし、その後 2人部屋へ移動します。
ここから約2年間にも渡る入院という名の集団生活がはじまります。深緑の自然に囲まれた病院でしたが、隔離病棟で厳しい外出制限がありました。
ここで出会った人達との思い出は、決して忘れられません。
「君はいいじゃないか。少しの間この病院にいるだけで退院できるんだから。引き取り手がいない俺なんて一生この病院だよ。」
今でも泣けてくるSさんのこの言葉。男子寮のお世話役だったSさんは、患者さん達の間のまとめ役でした。喧嘩があった際はいつも仲裁に入る正義感がつよいお兄さん。
いつも分厚い本や聖書を読みながら廊下を歩いていた駒澤大学文学部出身のTさん。患者さん同士が言い争いになった誤解を解くため、悪戦苦闘していたわたしに対し「ここは病院なんだから自分のことばかり考えていればいいのよ!」とTさんが言い放ちます。
カッとしたわたしは思わず彼女のほっぺたをパチンと叩いてしまいました。すると、彼女はわたしのほっぺたに手を当てながら「あなたみたいなひと、初めて。」と言います。
こんな出来事をキッカケにTさんと仲を深め、入院中は多くの時間を共にします。友人といえる存在ができてから、共同生活は次第に楽しくなっていきます。
患者さんの中には、ピアノや三味線、モダンバレエの先生、さらに画家もいました。入院中、時間はたっぷりあったため、それぞれのプロから自由時間の時に教えてもらいました。
特に嬉しかったのはモダンバレエ。小さい頃から憧れがあったバレエを学べるなんて夢にも思いませんでした。うれしくて毎日廊下でストレッチしたり自主練をするなど熱中しました。
この頃には、約30人くらいの患者さんが同居している大部屋に移動していました。ひとりのスペースは二畳くらいでしたが、和気あいあいとしていたように思います。
昼食後はトイレの防臭剤をつくる軽作業がありました。完璧主義のリーダーを怒らせないように黙々と作業しますが、それに耐えきれなくて笑いがこぼれたりしたこともいい思い出です。
信じられていると信じること
中2の時から本当の意味でひとを信じられなくなり、孤独に陥っていったわたしでしたが、ここでの集団生活を通して、他者への接し方やコミュニケーションなど少しづつ自信を取り戻していきます。
そんなある日、新聞記事で見かけた筆ペンの広告記事にこんな文言が載っていました。
その記事を見てピンときたわたしは、すぐに親に頼んで教材を送ってもらいました。そして、夕方のお茶の時間になるとボールペンで般若心経を毎日書き続けました。
自信を取り戻しつつあると言っても、19才でこの病院に入院し、亡くなるひとも少なからず目の当たりにする中で救いを求めていました。無我夢中で般若心経を書きながらいつ退院できるのか考えていました。
そんな中、奉仕生時代の恩師であるY先生から手紙が届きます。入院して1年半経過した梅雨明けの頃。
毛筆で「幽蘭一国香」という一行が書かれており、脇にはこう添えられていました。
とても恐れ多い内容でしたが、その言葉にわたしは勇気づけられました。Y先生は、これまで出会ったひとの中で最も信頼できる方でした。そんな先生から「信じられている」って心の底から信じることができたら、わたしの内なる力が湧いてきたようでした。
この時の原体験が、今のわたしを形成しています。約2年間に渡った入院生活は終わりを迎え、21才の冬に退院しました。
退院後もTさんとは連絡を取り合い、わたしができるサポートをさせていただきました。また、看護師さんともゆるやかに親交は続き、わたしが40才過ぎてから大学進学したことをとても喜んでくれました。
信じられていると信じること。
退院後、祖母や両親の愛情のありがたさに気付くことができました。何者でもないわたしですが、社会に貢献できるよう、できることを少しづつ探し始めるようになります。