スペイン巡礼の想い出
こんにちは、kuniです。
今から11年前の今日、人生の中で最もタフな40日間を終えました。夫についていったスペイン巡礼900kmの旅です。
現地のことばも話せないし、土地勘もない。重いバックパックを背負いながら、異国の地を歩きに歩いた旅の想い出。目的地に辿りついた瞬間は、人生のハイライトの一つです。
あの時、異国の地で多様な価値観に触れることができたからこそ、今の活動があるように思います。
それでは。
スペイン巡礼とは?
スペイン巡礼とは、エルサレムやバチカンと並ぶキリスト教三大巡礼地である聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」を目指す巡礼路を指します。
巡礼のことを現地の言葉でカミーノと呼びます。ヨーロッパだけでなく、アジア諸国を含め全世界から毎年数十万人もの巡礼者がやって来ます。
目的地である聖地サンティアゴの街並みはもちろん、そこへ向かう巡礼路自体も世界遺産に登録されており、1,000年以上の歴史を誇る美しい道です。
巡礼の定義は「日常生活から離れて、遠方の聖地に赴くこと」として差し支えないかと思います。一種の宗教的行動にあたりますが、必ずしも教徒である必要はありません。
日本でいうところの、四国八十八ヶ所お遍路参りや、熊野詣やお伊勢参りと同じようなものをイメージしてもらえると良いかと思います。(ちなみに熊野古道とカミーノは姉妹"道"提携をしているそうです)
フランス人の道を歩く
サンディエゴに向かう巡礼路は数多くありますが、わたしたちが2011年に歩いたルートは「フランス人の道」と呼ばれる最もポピュラーなものです。他、代表的なルートは以下の通り。
北の道|イベリア半島の北の海沿いを歩くルート
銀の道|セビージャを北上するルート
イギリス人の道|ビスケー湾から下るルート
ポルトガル人の道|リスボンからポルトガルの主要な街を通るルート
マドリードの道|首都マドリッドから向かうルート
フランス人の道はSt Jean Pied de Portというフランスの小さな村から始まります。スタート地点羽田からシャルル・ド・ゴール(パリ)、モンパレナス、バイヨンヌと経由してようやくスタート地点に到着します。
巡礼の仕組み
巡礼路には、巡礼者のための救護施設が点在しており、格安の金額で泊まることができます。
巡礼手帳を持っていれば誰でも泊まることができますが、基本は1泊のみです。宿泊すると手帳にスタンプが押されるため、それが巡礼の証明代わりになります。
施設の設備はユースホステルのようなもので、相部屋で二段ベッドという簡易的な宿といった具合です。
交通手段は徒歩が基本になりますが、自転車や電車・バスも利用可能です。ただし、聖地でもらえる証明書には、徒歩で100km以上、自転車で200kmと条件が設定されています。
巡礼旅のキッカケ
カミーノに誘ってくれたのは夫でした。
その年、新卒で入社した会社を42年間勤めあげた達成感とほんの少しの喪失感の中、以前より興味があった巡礼旅に挑戦することに。油絵を描いているモチーフ探しと言っていましたが、第二の人生を始めるキッカケが欲しかったのかもしれません。
夫がカミーノを知ったのは、その前年に遡ります。スペインを巡るパッケージツアー旅の途中で、バックパックを背負って歩く巡礼者を見て興味を持ったそう。帰国してからすぐに調べて、1年後に行動を移しました。
毎日休まず30km歩いて、およそ1ヶ月かかるフランス人の道。その魅力は、州ごとに移り変わる景色や食文化です。
道中の記憶
初日、St Jean Pied de Portを出発します。フランスとスペインの国境であるピレネー山脈越えが、スペイン巡礼最初の難所。
無知だったわたしは、9キロの荷物を抱えてピレネー山脈超えにチャレンジ。早速、顔面から手足にかけて痺れや過呼吸が出てしまう始末。
少し休んで数時間後、急に雲行きが怪しくなり大粒の雹がバチバチと音を立てながら大地を鳴らします。初日からまるで洗礼を受けたようでした。悲惨な状態でアルベルゲに到着し、翌日からは荷物を減らして歩き始めることにします。
3日目、ハプニング発生。昨夜泊まったアルベルゲに寝袋を忘れてきたことに気がつきます。連絡しましたが、ことばがうまく通じなく途方に暮れ、結局諦めることに。
気を取り直して、牛追い祭りで有名なPamplonaに到着。ここからは豊かな自然が広がるアップダウンのある道です。スペインの日没は22時。21時まで子どもたちがサッカーをしていたのが印象的でした。
アルベルゲでは、様々な国籍の方たちと一緒になります。大部屋で2段ベットが何台も置いて部屋に当たった時は、寝返りの度に揺れて眠れない夜を過ごすことはしばしば。
走行中には5本指ソックスの偉大さを知ります。足が痛すぎて麻痺してきますが、致命的な怪我に繋がらなかったのは日本製のソックスのおかげです。
旅の楽しみは食事。夕方にはレストランやバーを見つけてスペイン料理を堪能します。大皿パエリアをアルベルゲの皆で食べる時間は格別だった。交流を通して、海外の方が日本の伝統文化に熱心だったことも印象的でした。
21日目、LEONに入ると地平線が見えるほど平らな麦畑が続きます。メセタと呼ばれる台地は、夏場は日陰がないので巡礼者泣かせの道です。
レオンを過ぎるとガリシアに入ります。ガリシアはどことなく日本の山あいの景色に似ています。夏場でも雨が多い地方。ここで飲んだ魚介スープが本当に美味しかった。
34日目、サンティアゴ大聖堂も目前に迫り「歓喜の丘」を駆け上がります。丘からは世界遺産にも選ばれた美しい景色が拡がります。ようやく聖地に到着です。無事に12時のミサに間に合い、フランス人の道を歩いた証明書をもらう。巡礼者同士で祝福し合う感動的な1日でした。
大聖堂に到着したら栄光の門と呼ばれる入り口に向かいます。幾千万もの巡礼者が祈りを捧げてきた柱。手のくぼみのあとが歴史を物語っています。
まだまだ旅は終わりません。ここから西の果てと呼ばれるFinisterreとMuxíaまで足を伸ばします。
この頃、わたしの体調は限界を迎えます。夫にもワガママを言い、アルベルゲからホテルにグレードアップさせることに。ムシアまで歩くのは夫に任せ、わたしは疲労回復に時間をあてました。
最終日、夫がムシアからサンティアゴに戻り、とうとう全ての行程を終えることができました。その瞬間、わたしと夫の第二の人生がスタートしたような気がしました。
道中、何度も歌った浜田省吾の「君と歩いた道」を口ずさみながら、サンティアゴの街をゆっくりと歩く。
夫が「俺はいつも本当に美味しい店を見つけられる。すべてにおいて本物を見抜かないといけないんだよ」と言うものだから「奥さんだけははずれたね~!もう少し考えた方がよかったわね?」と言ったら慌てて「奥さんも~」と言ってくれたのを覚えています。
全行程はこちら。
旅を終えて
夫は今でもカミーノの虜です。2011年から2019年まで観光で行った1回を除いて、なんと8回も歩くことに。世界情勢を鑑み今は行けていませんが、早くカミーノに行きたくて我慢できなくなっている模様。それくらい人を惹きつける魅力があります。
人生は一度きり。どうせだったら思い切ったことをしたいけど、自分ひとりの想像力には限界がある。パートナーのおかげでまたとない経験ができ、それが今でも活力になっています。
カミーノ、いかがだったでしょうか。これを見て、少しでも興味を持ってくれたら嬉しいです。カバー写真はカミーノ旅のワンシーンを切り取った夫の油絵です。
人生とは歩くこと。
では。
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