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漫文駅伝特別編『矢文帖』第2回「ルサンチマン浅川と、努力は天才に勝る!(講談社現代新書)」如吹 矢ー

他人様に対して「あなたは狂っています」なんて軽々しく口にしちゃあいけない。

荒廃した土地で貧しく育った私でもそれくらいのことは重々に承知している。

その上で言いたい。
ルサンチマン浅川さん!あんた狂ってるよ!

ルサンチマン浅川は現在42歳のピン芸人。そして日本唯一の速読芸人だ。

芸歴は約18年、速読歴は27年を超えた。

彼は本を速く読むことを追求するがあまり、色々なものを後回しにして、たくさんものを失った。その代表例が、正常さなのだ。あと、頭髪だ。

とは言っても失礼があってはいけないので確認の為「狂う」を辞書で調べてみた。

「 精神の正常な調和がとれなくなる。気が違う。気がふれる。」

確認がとれたので改めて言う。ルサンチマン浅川は狂っている。

かつて、ジャンヌ・ダルクは言った「一度だけの人生。それが私たちの持つ人生すべてだ。」
それから約600年後、ルサンチマン浅川は言った「本を速く読むことが、人生のすべてだ!」

彼の速読百年戦争はまだ道半ば。彼は速読の凄さを知らしめたいと思いつつ、日々バイト先でステーキを焼いている。

彼は人生の多くの時間を本を速く読むことに注いできた。
そして、他人より多くの知識を得ることに躍起になって高みを目指した。天才と呼ばれたかった。

その結果、多くの知識を得たが、他人と接する機会が極端に減り友人も減った。頭髪も減った。

読書をインプット、他人と喋ることをアウトプットとするならば、彼はインプットばかりしていたので、彼の脳が「もういらないだろう」とアウトプットの回路を遮断。一時、失語症のような状態になったという。

そのなごりなのか彼の挙動は、あまり仲良くなかった同級生からの突然の連絡より不審だ。

そんな彼と速読の出会いは高校時代まで遡る。
大学受験を控えた彼は「スーパーエリートの受験術」という一冊の本に出会った。この本が彼を速読の世界へと、三角絞めを狙うクレベル・コイケの柔術のように引き込んだ。
その中に書かれた速読術のススメに感銘を受けて、それから速読術に関する本を買い漁ったという。

当時、アルバイト代のほとんどをその購入費用に当てた。今では速読に関する蔵書だけで300冊を超えている。

高校生の彼は速読術を自分のものにするためにたくさんのアプローチを試みた。

ページを速くめくったり、眼球をなめらかに速く動かすフィジカル面のトレーニングや、本を読む前に瞑想するメンタル面のトレーニングなどその方法は多岐にわたった。

学校の授業中も先生の話は一切聞かずに繰り返しトレーニングを続けて、彼はついに速読術を身につけた。
クラスメイトは彼を気味悪がった。
彼は皆さんのクラスにもいたであろうアイツだ。

悪魔の速読モンスター誕生

これで本を読むスピード、読解力も上がり、たくさんの知識を誰より速く吸収することができるだろう。

そうやって、とびっきりの武器を携えて挑んだ受験戦争。
彼は大敗した。

地元、徳島から上京して浪人生活が始まった。

元々、プライドの高い男だ。予備校の寮生活ではやはり友達が出来なかった。他人と一切会話しない生活。失語症を通り越して、もはや無語症になっていた。

その状況も相まってか、彼は速読に対して、全盛期のマイケル富岡の顔面のように濃く向き合うことになった。

速読は受験に役立つはずだと信じ、ただ黙々と独学で速読のトレーニングを孤独に続けた。
その姿は速読狂そのもの。
彼の速読至上主義は先鋭化されていった。

そして迎えた受験当日。彼は早稲田大学の政治経済学部の試験会場に向かった。

道中、財布を落とした。その影響は大きく、動揺した彼は地方議会中の議員のように集中を欠き、速読で素早く理解できるはずの文章問題が頭に入ってこなかった。
いくら文字を目で追ってみても頭に浮かぶのは解答ではなく愛用の財布。
結果、惨敗した。

帰りの電車賃がなかった。頼る友達がいない悲しさと冬の風が心を冷やした。

その数日後、彼は万全の状態で受けた早稲田大学社会科学部の試験に合格。さらに東京都立大学にも受かった。速読術をいかして、ついに受験戦争に勝ったのだ。

私はこの閉ざされたような環境で黙々と孤独に努力を続け結果を掴んだルサンチマン浅川に魅力と狂気を感じている。


時と場所と内容が大きく変わるが、神奈川県座間市の自宅で黙々とボクシングのトレーニングに励む親子がいた。

父は28歳、子は6歳。ただただ強さを求めた。父の考案する独自のトレーニングを重ね、子はのちに偉大な世界チャンピオンになる。

父、井上真吾。子、井上尚弥。

井上真吾著『努力は天才に勝る!』(講談社現代新書)

この本では日本ボクシング界の最高傑作といわれる井上尚弥、そしてその弟で世界王者の井上拓真をいかにして育て上げたかを父、井上真吾氏が綴っている。

私はこの親子のボクシングキャリアのスタートが大手の名門ジムでなく、自宅から始まったという、どこか閉鎖的で、独自性のあるところになんとも言えない凄みと魅力を感じている。

なんだか山奥で暗殺拳を磨いているような秘匿性すら感じる。
とにかく、その独自に磨き上げてきた技術が世界で称賛されている現状が凄まじい。

本書ではその技術を築くための日々の鍛錬と、節制を続ける様子が明かされており、それが分かった上で井上兄弟の試合を観ると、より心に迫ってくるものがある。

井上真吾氏の葛藤や苦労も赤裸々に吐露されており、さらには井上尚弥、拓真の視点から父を語った対談も収録されている。

悪魔の速読モンスターではなく、ボクシング界のモンスターをより深く知りたい方に必読の一冊。

是非ゆっくり味わうように読んで欲しい。

「努力は天才に勝る!」(講談社現代新書)
井上真吾


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