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ジンジャーハイボールと彼 16 〜ピエロになった〜


 二人は夏休みに入ってからランチによく来ていた喫茶店に入った。
 そこは、今の子たちが言うところのエモい(エモーショナル)雰囲気をした、カフェと言うより喫茶店と言いたくなる店だった。

 大手コーヒー店には、生徒たちが部活後に来ていることや親御さんが来ていることもある。
 ここは人通りが少なく、車でなければ来られないので二人にとって穴場の店となっていた。

「昔風ナポリタンと水出しコーヒー」
「えーと、たらこスパゲッティとドリンクは同じやつお願いします」

 二人は、互いに出された水をがぶ飲みした。

「「はぁ」」
 二人同時にため息をついた。心なしか日下部の方が長いようだった。


「先輩のせいでとばっちりですよ。あの先生が黙っていると思いますか?絶対すぐに言い振りまわりますよ」

「え、ああ。そんなの少し流れてすぐに消えるだろ。夏休み中だし、そんなに言う程のものでもない」

 伊藤は日下部を斜めに見つめた。
「今日、行かないんですね」
「ああ、もう行って来た」
「え?」
「しっかり、聞いたよ相手の気持ちを」
「・・・気持ちですか?」

「元旦那さんのこと、まだ忘れられてないんだよ。お互いに嫌いになって別れたんじゃないそうだ」
 
 伊藤は何も言えず、置かれたコーヒーに口をつけた。外は急に通り雨が降り出し、先ほどまでの晴天が嘘のようだった。

「好かれてなきゃ、しんどいよな。いや、好かれてはいたけど。なんか心ここにあらずだったんだよ。そういうことかって」

「ピエロになったんですね」
「嫌な表現だな」

「言うても、先輩も怜奈さんのこと愚痴ってましたやん。なんか違うなぁ、みたいに」
「急な関西弁だな。・・・お互い様だったのかな」
 

 
 
  待ち合わせの場所に車をつけ、相手は乗るとすぐに本題に入った。

「日下部さん、すいません!もう、会うのをやめにしませんか」
 助手席の長瀬は下を見ていた。

「え・・・?」
 日下部は急な展開に戸惑いを隠せなかった。

「何かありましたか。理由は言いづらいかもしれないですが」
「違うんです。日下部さんは素敵な人です。なんの理由もありません」

「・・・では」
「あの、実は私たち夫婦は嫌いになって別れたんじゃないんです」

 長瀬は離婚となった理由や当時の心境を語った。
 相手の仕事のため、北海道を離れ海外で子育てをすること、当時の仕事・キャリアを手放すこと、どちらも同意出来なかったと。

 話し合いを重ねるが、お互いに譲れず言い合いが続いたこと。
 
「もう11年も前です。今の時代なら多様性として別々に暮らしても夫婦として許されたかもしれない。だけど、当時はまだまだそんな時代じゃなく。私たちも形や世間体を気にしたし、お互いの両親の考えも古かったので。なかなか理解は得られず」
 そう言うと、事前に購入していたスタバのコーヒーを口にした。

「それに、息子も小学校に入学したばかりで生活にやっと慣れてきたので。・・・主人の応援はしたいけど良い結論が出なくて」

「そうだったんですね」

 長瀬は頭を下げた。
「今回はお時間をとってしまって。本当にすいません」

 日下部は優しい目で長瀬を見た。
「ご主人のお話が出たのは、今回だけじゃないですよ。忘れてらっしゃるのか、無意識かわからないですが。前回に会った時にも頻繁にご主人のお話をしてました。昔、こんなこと言われたとか、主人はこれが好きでとか」
「え?」

「あれ、離婚してないのかなぁって思うくらい」
「嘘、覚えてないです」

 日下部は優しく微笑んだ。
「あの、今更なんですが。僕の話をしても良いですか」
「はい、もちろんです」
 
 日下部はハンドルの上に両腕を乗せ、前を向いて遠い目をした。

「初めて担任をもつようになった頃、長瀬さんが朝のメインアナウンサーになったんです。気味悪く思われないように言わずにいたのですが」
 長瀬は驚き、日下部を見て頷いた。

「仕事が本当にしんどい日や、今日は行きたくないって日ももちろんあって。そんな朝に長瀬さんがテレビの向こうから“今日も一日お元気にお過ごしください”って伝えてくれる言葉に何度も励まされて。素敵だなと思ってました」

 長瀬は日下部を見入った。
「本当ですか?・・・すごく嬉しいです」

「だから、“すいませんでした〟なんて言わないでください。僕も、憧れの人とデートする夢が叶って、一緒に出掛けることができて嬉しかったんです。それに高嶺の花はそのまま想い出にした方がよくて、現実は違うって知れたので」

「え、違う意味でごめんなさい。幻想をこわしましたね」
「いやいやいや、なんて言って良いかわからないんですが」

 長瀬は、爆笑していた。
「おかしい。日下部先生は、想像していた通りです。不器用ですよね」
 
「いや、なんというか。長瀬さんは緊張しすぎて自分を出せなくて」

「どんどん深みに入ってますよ」

「・・・しゃべらない方が良いですね」 

 
 長瀬は、この夏に数年ぶりに元ご主人がもどってくるということで、気持ちが揺らぎ始めたという。

 
 伊藤は日下部の話に聞き入った。
「実はさ、本音はほっとしてる。自分からは
正直な気持ちは言えなかったからな」

「そうですよね。なんて言うか、お互いに良かったですね」
「ああ、うん。長瀬君の役には立ったかもな。怜奈さん、今回のことがあるまで忘れられていないって自覚なかったみたいだから」

 伊藤はコーヒーを口にし、すぐに置いた。
「自覚するのが怖かったのかもしれないですね。過去を悔やむみたいで」

 遅れてパスタが置かれた、マスターは何も言わずにすぐその場を去っていた。

「あ、でも怜奈さん。俺の昔の話を聞いて“北海道に残ってこの仕事を続けて良かった“”って言ってたな」
「おお!長瀬家に貢献しまくりですね」

「俺、やっぱりピエロだな。これで二人が再び上手くいったら長瀬君のサンタでもあるかもな」
 日下部は見たことのない、くったくのない笑顔で笑った。

 伊藤もつられて笑った。

 
 雨は止み、窓の外には夏の青空が広がっていた。

 クーラーのきいた店内にまで、セミの鳴き声が聞こえそうな空だった。

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