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ジンジャーハイボールと彼 第七話


 目覚めがよかった、本当に久しぶりの気持ちがいい目覚めだった。昨日のイベントでは、トークタイムもサイン会も最高だった。

 しかも、最後に抽選でハン・ヘギョと写真が撮れるという超絶ラッキーチャンスに当たってしまったのだ。

 新品のiPhoneが完全に生かされた。

 ただ、一つ、心残りが。
 あの眼鏡にキャップの低音ボイス男子と、もう少し語り合いたかった。他にもお勧めのドラマもあるし、これからあるイベントも教えてあげたかった。 
 あのスマホケースはどれだけ探しても見つからないので、どうやって購入したかも知りたい。

 すべてのイベントが終わったときには、どこにもいなかった。私も写真が撮れたことで興奮してしまい、終了後は放心状態だったので仕方がないのだけど。
 何はともあれ、当分、仕事を頑張ることが出来る。やる気も出てきたし、恋愛マッチングアプリに登録して彼氏作りでもしてみようか。

 いや、やはり勇気がいるので、少し考えておこう。
 
 
 
「日下部先生。お昼にピザ頼まないですか」
「え?月曜からそんながっつり食べたいのか」

「実は、相談があって」
「今晩、飲みに行くのはダメか、宅飲みでもいいし」
 伊藤は、顔を近づけ小さな声で。
「それなら、四時間目はお互い授業ないですよね。理科準備室でちょっと時間作れないですか。どうかお願いします」
「・・・そこまで言われると気になるだろう。わかった時間つくるよ」
 絞りだしたような声で
「ありがとうございます」と答え笑顔で自分の席へもどった。
 忙しいので、気にしてはいられないが、いったいなんの話かかなり気になる。
 
 
 
「実は、生徒から愛の告白を受けてしまって」
日下部は少し鼻で笑い、伊藤を見て言った。
「ああ、若い男性教諭あるあるだな。何年生の子?」
「二年生です」
「だろうな。二年生の授業で選択授業も行ってたよな。少人数だし、さらに急接近した気持ちになるだろうに」
「いやいや、俺だって、今まで何度か同じようなことあったんで。切り抜け方はわかってますよ。誠実に断ってきたので」

「・・・え、まさか本気で気になってるとかじゃないだろうな。お前、今後の人生を棒に振る気か。教員の使命はなんだ、生徒を恋に溺れされることじゃないだろう」
 日下部は自分の発言にびっくりしていた。
 自分らしくないな、伊藤の生活のことを懸念するだけかと思ったらこんな心の声が出るとは。

「先輩、最後まで聞いてください。そうじゃないんです。生徒の母親なんです」
「へ?」

「母親が、好きみたいなんだって言われたんです。デートしてあげてほしいって言われて。あと、生徒は男子生徒です。シングルマザーのお母さんに一生懸命育ててもらったって言われて。彼は、自分の夢のために高校卒業後は海外にいる父親の所に行くようなんです。それで、母親の好きにさせてあげたいって」
「ん、そんな生徒いたか」
「長瀬亮君です」

 驚いて椅子から立ち上がってしまった。
「あの、長瀬か?」
「はい、長瀬です」
「お母さんは確か、フリーアナウンサーだよな」
「そうです」

 羨ましい!!なんで伊藤ばっかりなんだ。参観日に来たときには、綺麗過ぎて周りの教員も生徒もじっくり見てしまうほどだった。
 年齢は確か三十八歳くらいのはず。伊藤にはすでに可愛い機転のきく彼女がいるじゃないか。

「なんでお前ばっかり」
「なんか、すいません」
「謝るな!余計惨めだ」
 理科準備室は、我々の住処のため、他の生徒も教員も入ってくることは滅多にない。
 少し大きめの声でも問題はなかった。

「僕も困ってるんですよ。長瀬君は良い子だけど、少し頑固で真っすぐすぎると言うか。一回だけデートをしてほしいって言われて」
「すごい展開だな。普通、諦めるだろう。それで・・・デートするのか」
「いやいや、しないですよ。相談っていうのは、長瀬君に日下部先生はフリーだし、誠実で女性を大事にする人だよってお勧めしたんです」

 ん?なんだか、話の方向と雲行きがおかしい。
「なので、もしかしたら長瀬君からオファーが入るかもしれないです。という報告でした」

「いやいやいや、おかしいだろう。伊藤のことが好みの女性が正反対の俺を好むわけがないだろう。太陽と月ほど違うって言ってただろ」
「そんなこと言いましたっけ?」

 違う、俺が勝手にそう感じていただけだ。
「まぁ、ないと思いますけど。万が一あったら、びっくりするじゃないですか。なので、びっくりさせて、事後報告にならないためにです。なんか、時間作ってもらってすいません。それじぁ、そろそろ授業作りにもどります」

 いきなり現れ、とんでもない風を起こしたと思ったら、すぐに去って行った。

「どういうことだよ」

 茫然と立ち尽くしていたが、事の大きさに我に返った。
 理科準備室の自分専用の椅子は、大きく少し立派なタイプだった。ドカッと座り、窓を眺めた。

 業務でいっぱいなのに、仕事を増やす気か。
だが、長瀬亮の母親、長瀬礼奈さんは本当に綺麗な人だといつも思っていた。
 ローカル局で朝一のニュース番組を担当している。仕事に出勤する前の時間に必ずその番組を見てから家を出る。
 端正な顔立ちに聡明な振る舞い、自分の考えを求められるようなシーンでも多様性のある意見を発言し、賢さが垣間見える。

 この仕事ばかりの日々にピリオドを打ちたいと感じてもいた。良いチャンスかもしれない。
 なにより、礼奈さんはかなり好みだ。
そう、ピリオドを打ちたかろうが、なかろうが、礼奈さんは好みだ。

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