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僕は自己責任が好きじゃない

こんにちは
今日は自己責任について僕が思っていることを綴ります。

始めに言っておきたいことは、これはあくまでも、僕が23年間生きてきたなかで醸成された個人の意見に過ぎないということです。

きっと、読者の方によって様々な意見があると思います。

それでいいと思います。

もし、差し支えなければ見なさんの考えを教えてください。

色んな考えや、思いを知って、納得解を模索していきたいからです。

ご協力していたただけたら幸いです。
では、始めます。

僕は自己責任が好きじゃない

「自己責任」という言葉は一見自立した大人の立派な決意のようにも聞こえます。

子供は、自分では責任を負えませんし、負うべきではないことは多くの方が納得できると思います。

大人の庇護下にいるからです。

子供の責任は大人にもあることは満場一致の事実です。

そして、大人になったら自分で責任を負うべきであるという考えが蔓延しています。

どこからが大人というかは曖昧なところですが、責任を自分で背負えるくらいの信用と自立していることが条件になるのではないでしょうか。

僕も同じような考えを持っていました。

大学生になった際、もう子供ではないのだから責任は自分で負わなくてはいけない。

20歳になった時その思いは完全に確立されました。

そうしたら、何が起きたでしょうか。

多くの方も同じような経験や自覚があるかもしれません。

周囲に対して冷たくなりました。

自己責任は自分だけではなく、周りも同じように負っているものと考えるようになったからです。

困っている人がいても、それは自己責任。

自分で蒔いた種だろう、自分には関係ない。

そんなことにかまっている暇はない。

もし、それに関わって自分にも何かあってもそれは自己責任。

きっとだれも助けてはくれない。

自己責任という言葉が、僕から「助け合い」「お互い様」「相互扶助」などの感覚を消していきました。

そして僕は摂食障害に陥りました。

自己責任です。

周りには隠しました。

自分は見捨てられると直感的に思ったからです。

なぜなら

面倒を抱えている人に近づいたら、自分にも面倒が襲い掛かる可能性を僕自身が恐れて今まで避けてきたからです。

強くなくてはいけない。自立しなくてはいけない。

なぜなら、

だれも助けてくれないから。

なぜなら

自分も助けてこなかったから。

弱さを見せてはいけない。困っていることがばれてはいけない。

なぜなら

見捨てられるから。

なぜなら

自分は見捨ててきたから。

そんな感覚がいつの間にか僕にしみついていました。

実際は、そんなことはなく、僕は多くの人に支えてもらい、摂食障害を乗り越えました。

家族は何も見返りを期待せず、友人も決して見捨てず、僕を支えてくれました。
なぜでしょう

続きが気になる方はこちら
https://kuniichan.com/2019/13/post-481/

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