カーコラム「WRCメモワール 記念すべき90年アクロポリスラリー カルロス・サインツWRC初勝利&トヨタ念願のWRCヨーロパラウンド初勝利」

 エル・マタドールの異名をとるWRC界のレジェンドドライバー、カルロス・サインツのWRC初勝利は1990年6月6日がフィニッシュのアクロポリスラリーだった。そしてこのラリーは、88年のコルシカから本格的にWRCチャレンジを始めたトヨタワークスにとって、念願のヨーロッパラウンドWRCでの初勝利でもあった。

 スペイン人のサインツは、17歳という若さでスペインのスカッシュ・チャンピオンに輝いた。高校チャンピオンではなく、国内最高峰のスペインチャンピオンである。当然、多くの人々は、そのままスカッシュの世界チャンピオンを目指すもの、と予想していたが、本人は「免許の取れる18歳になったらモータースポーツをやる」と決めていた。父親は建設業、本人のコメントによれば「家は金持ちではなかった」とのことだが、サーキットレースとターマックラリー、この2本立てでクルマの世界へと足を踏み入れた。そして、スペインでのターマックラリーチャンピオンとなり、イギリスでフォーミュラ・フォードにチャンレンジしている時にWRC出場へのチャンスが巡ってきた。

 87年ポルトガル、フォードのシエラRS・コスワースで出場。この年はコルシカで7位、イギリスRACで8位の結果を残し、88年もフォードから5戦に出場。これがトヨタワークスの目にとまり、89年からトヨタのST165セリカGT-FOURをドライブすることになったのである。そして8月の1000湖ラリーで3位、サンレモで3位、最終戦のイギリスで2位と順位をあげ、後の手堅い走りとは別人の、ダイナミックな激走で、ライバルや関係者から「サインツとトヨタはいつ勝つか」と噂されるようになった。

 そして90年初戦のモンテカルロは2位、イヤイヤ(笑)出場したサファリは4位、次のコルシカは2位となり、6戦目のギリシャ、アクロポリスラリーでWRC見事初勝利を飾るのである。

 この年は、本命のランチャはユハ・カンクネン、ミキ・ビアシオン、ディディエ・オリオールの3人体制。三菱がギャランVR4でアリ・バタネンにケネス・エリクソン。トヨタがミカエル・エリクソンとカルロス・サインツ。スバルはマルク・アレンを出場させていた。当時はアテネに近い海辺のショートSSが最初のステージ。デビューのレガシィをドライブするアレンに、2人のエリクソンの3台が同秒トップという戦いで始まった。そしてサインツもトップグループに加わった。

 第2レグのリーダーはサインツ。それを第3レグに入ってカンクネンが逆転。しかし第3レグ途中のSS21、サインツはトップに立つと、その翌日の最終レグも1位をキープし、2位に入ったランチャのカンクネンに1分近い差をつけて見事勝利を手中に収めた。WRC出場4年目、WRC出場20戦目にして初めて得た勝利。同時にトヨタはチャレンジ3年目にして初のWRCヨーロッパラウンドとなった。


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