エッセー「認知的不協和」

 人が何かを心から信じているとき、それが間違っていることを証拠と共に示されても、非常に不愉快な気分になり、新しい証拠を受け入れることができない。それを「認知的不協和」という。心から信じていることを守ることが重要なので、自分が信じることがあてはまらないことは論理付けようとしたり、無視したり、拒絶する。

 コロナパンデミックの現在、幼少期より常識として刷り込まれた知識に凝り固まった人々は、学歴や権威、社会的ステータスや肩書といった表層的なデコレーションでのみで人を判断し、その意見を何の疑いもなく受け入れる。

 幼少期より"学校"という洗脳施設において"教育"という洗脳を受けた一般大衆には、彼らがメディアという巨大宗教の宣教師であり、メディアを牛耳る巨大資本の傀儡であるということは受け入れ難い事実であり、よしんばその事実を知ったところで「社会的な地位が高く高学歴の立派な先生が嘘を言うはずがない」という長年に渡り刷り込まれた誤った常識により頑としてそれを認めようとしない。

 この世の森羅万象は利害関係で成り立っている。その事象により一体誰が利益を得、誰が不利益を被るかを見れば、その事象が偶発的なものか、あるいは何者かが意図を持って起こしたものなのかが一目瞭然である。

 自ら真実を探求し思考する、その姿勢こそがプロパガンダと嘘にまみれた現在を生き抜く唯一の術であること忘れてはならない。

 

宜しければサポートをお願い致します!