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カーコラム「WRCメモワール 1994年アクロポリスラリー "激怒するコリン・マクレ-に追い撃ちをかけた失格宣言"」

 1994年のアクロポリスラリー、スバルワークスのコリン・マクレ-の失格事件は未だに信じられない事件として記憶に残っている。

 この年のアクロポリスラリーは、すでに今と同じ3日間のスケジュール。ただし、今と違って33SSのトータルは503.53km。現在の380km前後から比べれば1日分は長くハード、という設定だった。この年のスバルワークスはエースのカルロス・サインツに若いコリン・マクレ-の組合せ。まだWRカーになる前のインプレッサ555WRXである。スバルとしてはインプレッサでの初のアクロポリス。しかしマシンの出来は最高だった。

 そしてマクレ-が第1SSからラリーリーダーに立ち、それをサインツが追うという1~2位独占、第2レグまでスバルは絶好調だった。その第2レグ、暑い日中のサービスポイント、ランチタイム的なパルクフェルメがサービス直後に作られていた。サービスを終えると、パルクフェルメに車両を保管し、オフィシャルが管理することになる。その後ラリーが再会された。しかし、予定の時刻になってもマシンは来ない。そのうち、先頭、トップに来るマクレーが後続のクルマをストップさせている、という情報が入ってきた。そして30分遅れでマクレーが激走。

 なぜ30分もスケジュールが遅れたか。それは情報どおりマクレーがマシンを後続の競技車が通れないように止めたからだ。では、マクレーはナゼそうしたのか。実はパルクフェルメから先頭で出たマクレーのインプレッサは、SSへ向かう舗装路で突然、ボンネットが開いてしまったのだ。それを不思議に思ったマクレーは無線でチームに原因を調べさせた。その結果、主催者側が車両保管中に勝手にワークス・インプレッサのボンネットを開けて燃料のチェックをしたことが判明した。

 次のステージというのは立ち木の多い森の中だった。普通のアクロポリスなら先頭を走ることはジャリかきで不利なのだが、森でホコリが立つとタイムが落ちる。ましてや遅いグループNの後についたら抜くことは困難でありタイムは出ないと判断したマクレーは、ボンネットが開いた際に割れたフロントガラスを交換させるためにサービスカーを呼び、、後続が通れないようにコースをふさいだのだ。

 その様子を、マクレーから説明を受けたワークスドライバーたちは、みなおとなしく止まっていた。そして競技は30分遅れ、マクレーの1番走車で始まったのだ。マクレーとスバルは第2レグとラリーリーダーを守っていた。しかし、翌朝、第3最終レグにマクレーとインプレッサの姿はなかった。なんと主催者側は、マクレーのとった行為をスポーツマンシップに反したとして失格を言い渡し、最終レグの出走をさせなかったのである。

 この事件は完全に主催者側のミスだった。にもかかわらずマクレーは失格になってしまった。この失格で、ラッキーだったのはサインツである。彼は第2レグまで2位をキープ、突然に1位になって、そのまま2位となる三菱ワークスのアルミン・シュワルツに4分ものリードをつけて勝ってしまった。

こうして前年の8月、1000湖ラリーでデビューしたインプレッサ555WRXは初勝利を飾った。

スバルにしては、マクレーは失格したがサインツが勝ってくれたので結果オーライなのだが、しかしなぜか釈然としない94年アクロポリスでの失格事件であった。


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