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カーコラム「追憶 TTE オベ・アンダーソン氏の想い出 セリカGT-FOURとカローラWRCar」

 1987年頃だったと思うが、オートテクニック誌の取材でWRCオセアニアラウンドの途中に日本に立ち寄ったTTE総帥オベ・アンダーソン氏(故人)のインタビューを水道橋のトヨタ自動車東京本社で行ったことがある。

 インタビューの最後に「トヨタ車の中で、TTEのラリーカーとして最も理想的なのはどのクルマか?」との質問をしたところ、彼は即座に「カローラだ。カローラにビッグエンジンを搭載したクルマがベストだ」と答えたのが今でも記憶に残っている。

 当時トヨタは世界戦略(特にヨーロッパのマーケット)上のマーケティング的観点から、ラリー車両としては大柄でディメンション的にも制約が多いセリカGT-FOURでWRCを戦っていた。しかし、TTEの卓越した開発能力と、開発を担当したディディエ・オリオール、カルロス・サインツといった優れたワークスドライバー達のアドバイスもあり、ST165からST185そしてST205とセリカは徐々にその戦闘力を向上させ、Gr.Aの施行により台頭してきたスバル、三菱といった同じ日本車のライバルはもちろん、ランチャやフォードといったトップコンテンダーとも互角の勝負ができるだけの完成度を戦闘力を備えるまでに熟成した。

 1997年、FIAがGr.Aの新クラスとして年間最低生産台数さえ満たせばターボチャージャーの装着や4WD化が可能など自由度が高い新クラスWRCar(World Rally Car)を新設する。それによりWRCを席捲しつつあった日本車メーカーのGr.Aマシンも、新クラスへの移行を余儀なくされた。

 WRCar(World Rally Car)規定の新設により新たなスタートラインに着くことになると、トヨタは次期戦闘車両として密かに開発を進めていたカローラ(ヨーロッパ仕様)の投入を決定。オベ・アンダーソン氏の長年の念願が叶うことになる。しかし、その2年後の1999年、カローラWRCarの快進撃が続く中、翌2000年からのF1参戦を機にWRC参戦に区切りをつけると発表。ファイナルシーズンとなった1999年、トヨタは通算角目のマニュファクチャラーズタイトルを獲得し、28年間に渡るWRC参戦の歴史に一旦幕を閉じた。

この場をお借りして、オベ・アンダーソン氏の偉大なく功績に敬意を捧げると共に、心よりご冥福をお祈り致します。


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