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CAR COLUMN

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モータージャーナリストの鳴海邦彦が徒然に綴るカーコラム。
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#Motorsport

カーコラム「WRCメモワール 記念すべき90年アクロポリスラリー カルロス・サインツWRC…

 エル・マタドールの異名をとるWRC界のレジェンドドライバー、カルロス・サインツのWRC初勝利…

カーコラム「WRCメモワール マジメすぎるほどマジメ。しかしなぜかイギリスでは不運続…

 カルロス・サインツはスペインでは英雄である。WRCにはスペイン人のジャーナリストも来るが…

カーコラム「Gr.B時代を終焉に導いた究極のモンスター "ランチャ デルタ S4 Gr.B"」

 ランチャデルタS4は、ラリー界の名門、イタリアのランチャが、WRC制覇のため先端技術の粋を…

カーコラム「ジル・パニッツィに見る " 走りのセオリー "」

 " 走る不動明王 " ことジル・パニッツィのドライビングテクニックはスポーツドライビングの…

カーコラム「WRCメモワール '92アクロポリスラリー なぜか同じコーナーで落ちた2台のS…

 1980年のポルトガルラリーでは、フォードワークスのエスコート・マークII、ロスマンズカラー…

カーコラム「WRCメモワール フランソワ・デルクールの衝撃的なモンテ・デビュー」

 スペルどおり「フランコイス」と呼ぶ人もいるし、普通は「フランソワ」と呼ばれている。でも…

カーコラム「WRCメモワール 記念すべきWRC初勝利を目前にしてのリタイア! ブルーノ・ティリーの無念」

 毎年、シーズンが変わるごとにワークスシートを失う有力ドライバーたちが出現する。2001年から2002年のWRCにかけては、ディディエ・オリオールとブルーノ・ティリーがワークスドライバーの座を失うことになった。今回はそのブルーノ・ティリーの物語である。  「いいヤツなんだけどね」とWRC関係者が口を揃えて言う、好人物のティリー。1962年生まれのベルギー人、ラリーにデビューするのは1981年である。私が彼の名前を初めて知ったのは、91年のアフリカ・アイボリーコーストだった。

カーコラム「WRCメモワール 95年スウェーデン、チームオーダーを無視しトップを走るマ…

 1994年のフィンランド。トミ・マキネンはフォードに1戦だけの約束でチャーターされ、独走で…

カーコラム「WRCメモワール フォーミュラ2(F2)がツール・ド・コルスで勝った日」

 今はもう見ることができないが、かつてWRCには「フォーミュラ2(F2)」というカテゴリ-があ…

カーコラム「WRCメモワール 4台のセリカGT-FOURに150名以上のTTEスタッフ。史上最大の…

 まずは上の写真を見てほしい。これは1993年のサファリラリー、そのスタート前日、車検を終…

カーコラム「"東欧の騎士" ”Škoda(シュコダ)モータースポーツヒストリー」

 1901年創業のチェコ最大の自動車メーカー ”Škoda(シュコダ)”は、2001年に設立100周年を…

カーコラム「バルト三国の雄ラトビアが誇る超過激なドリフトモンスター" HGK BMW-F22 …

 バルト三国の一翼をなすラトビアで積極的なモータースポーツ活動を展開する" HGK Motorsport…

カーコラム 「M1のエンジンを搭載するエレガントビースト BMW M635CSi 」

 ベルトーネデザインによるBMWの流麗なクーペ・CSは、1976年にフルモデルチェンジされE24系63…

カーコラム 「競い合い勝利すること、それがモーターレーシングのすべて」

 狂おうしいまでの闘争心と勝利への飽くなき欲求、それこそがモーターレーシングのすべて。  ライバルをぶち抜き前に出る、誰よりも速くチェッカーを受ける。  単純にして明快、すべては本能のおもむくまま。  勝利の美酒に酔うためなら、人生のすべてと自らの命を捧げても何ら悔いることはない。  スピードという魔物に魅入られし者だけが経験する天国と地獄。  真剣な命のやり取りは甘く官能的だ。