マガジンのカバー画像

Essay

321
鳴海邦彦が思いつくままに、そして気ままに綴るフリーエッセー。
運営しているクリエイター

#モータースポーツ

再生

ショートエッセー「Isle of Man TT(マン島TTレース)」

地球上では、1年に一度だけ人が風になる。 " The Isle of Man Tourist Trophy Race(マン島TTレース) " は、英国王室の属国であるIsle of Man(マン島)の公道を封鎖して行われる世界一危険でエキサイティングなモーターサイクルレースである。 その歴史は古く、起源は20世紀初頭の1907年まで遡り、世界最古の議会で『青空議会』としても知られるマン島議会「ティンワルド」が制定した公道閉鎖令に基づき公道を閉鎖して行なわれる。 競技は伝統的に5月最終週から6月第一週に開催され、島の南東部にある首都ダグラスを起点として、北東海岸部の町ラムゼイを経由してスタート地点まで戻る一周60.7kmの公道コースで争われる。 今年も、高低差396m、200を超えるコーナーが待ち構える世界一危険な一般公道を、命知らずのライダー達が平均193km/hを超えるスピードで駆け抜ける。

エッセー「1987年 全国ダートラ部長会議の想い出」

 それは1987年の晩秋のことだった。  ところは東京、飯田橋ホテルエドモンド。  その日、開催を一ヶ月後に控えたオールスターダートラ(当時はまだ全日本シリーズ戦ではなかった)の統一レギュレーション策定の摺り合わせを行うため、JMRC各ブロックのダートラ部長が集まり「全国ダートラ部長会議」なる会合が秘密裏に行われた。  会議の仕切りはもちろんあの男、俳優の白竜とまったく見分けがつかないほどクリソツなJMRC関東ダートラ部長CCCR代表 横倉”漢”正道氏。  JMRC東

再生

ショートエッセー「" I'm not a driver, I am a racer. " Stirling Moss」

走れども走れども満たされぬ渴望を満たすため、今日も明日もひたすら走り続ける生来のスプリンター。 競い合うことこそ己のレゾンデートル。 誰よりも早く走り勝利する、単純にして明快な摂理に自らのすべてをかける者。その名は"The Racer " Stirling Moss。 嗚呼、素晴らしきかなモーターレーシング。スピードに魅了され、狂おうしいまでの勝利への欲望に身悶えし走り続けた男に幸あれ。

ショートエッセー「Speed Mind No.11、"スカイラインGT-Rを振り回す!!"企画の想い出」

 1989年夏。Speed Mind No.11の総力特集「スカイラインGT-Rを振り回す!!」の取材は超楽しかった。  日産自動車広報部から借りたデビュー仕立てのR32GT-Rを千葉県の浅間台スポーツランドに持ち込み、全日本ジムカーナDクラスチャンピオンのジムカーナ界のレジェンド 山本真宏選手が容赦なく攻めまくった。  そして、この日同行してた同じく全日本ジムカーナを戦う猪爪俊介選手がその圧倒的な性能とジムカーナ車両としての秘めたポテンシャルに感化され、発売直後のR32

エッセー 「スーパーカーは遊び倒しこそ意味がある!」

 何度でも言おう、スーパーカーであろうが、高級スポーツカーであろがクルマは乗りこなしてなんぼ。  そしてモータースポーツは楽しんでなんぼ。そもそも「スポーツ」とは「楽しむ」という意味の単語。  荒ぶる悍馬を意のままに乗りこなす、それこそが快感なのである。  例えそれがランボルギーニ・ガヤルドであろうが、床を踏み抜くまでアクセル全開、タイヤがズタボロになるまでグラベルロードやスラロームを楽しむのが男の粋というもの。  スーパーカーは高速道路で弱者をいじめて悦に入るような

エッセー「結果よりも走りにこだわれ」

 峠にはルールはない。もちろん公道だから、センターラインを割らない、前方車を煽らないといった一般交通常識としての最低限のルール&マナーはあるが、後はすべて自由。だから面白い。下手なら下手なりに楽しむことができるし、それをしたり顔で批判するバカもいない。ミスして事故るのもオウンリスク。すべては自分が中心、自分との戦い。  別に峠でイニシャルDみたいなバトルするのが目的ではない、クルマを意のままにコントロールして自然の産物である峠を気持ちよく駆け抜けたいだけ。峠を征服しようなん

エッセー「競い合い勝利すること、それがモーターレーシングのすべて」

 狂おうしいまでの闘争心と勝利への飽くなき欲求、それこそがモーターレーシングのすべて。  ライバルをぶち抜き前に出る、誰よりも速くチェッカーを受ける。  単純にして明快、すべては本能のおもむくまま。  勝利の美酒に酔うためなら、人生のすべてと自らの命を捧げても何ら悔いることはない。  スピードという魔物に魅入られし者だけが経験する天国と地獄。  真剣な命のやり取りは甘く官能的だ。

エッセー「1987年10月30日ラリーアート ギャランVR-4 RSラリーバージョンプレス発表会の想い出」

 それは1987年11月1日の第一回鈴鹿F1GPを二日後に控えた10月30日のことだった。  文京区本郷5-5-18、本郷菊坂オレガノ本社隣の山に海にお堂の堂と書いて山海堂本社5階、尾島社長の執務室隣の会議室を不法占拠したSpeed Mind仮設編集部に、某三菱自動車の某ラリーアートから、CMSC会員向けに、E38A型ギャランVR-4のラリーキットを組み込んだデモカーの試乗と説明会をオートランド千葉第二でやるので取材してほしいとの要請があった。  ちょうどその時期は、夏頃

エッセー「 "NISSAN SKYLINE GT-R"賛歌」

 以下の原稿は、2002年、当時総合プロデューサー兼編集長だったCar@nowに寄稿した自らの原稿である。 レースで勝利することを宿命として生まれたGT-Rの歴史が、5代目となる現行モデルR34型GT-Rで一旦、その幕を閉じる。走りを愛するすべてのドライバーに夢と希望を与えてくれたGT-Rへの熱い想いを込めて送る、哀愁の挽歌・GT-R大特集!  幻の名車と呼ばれた2代目GT-R・KPGC110の生産中止から17年後、栄光の赤バッジは不死鳥のごとく蘇った。歴代3代目となるR

エッセー「憧れのナルド」

 ドイツのニュルブルクリンクと並ぶスポーツカーの聖地である。  長靴の形をしたイタリア共和国の踵部分、プーリア州レッチェ県ナルド(Nardò)にある半径4km、一周12.5kmの完全な円形の超高速テストコース、ナルド・サーキット(Nardò Ring)。  幾多のスポーツカーが過酷な最高速耐久トライアルに挑んだ聖地ナルドを、いつの日か完璧なコンディションのメルセデス・ベンツ2.3-16で駆け抜けてみたい、それが晩年最後の夢である。

エッセー「ダートトライアルの名物実況アナ 柳川正道氏の想い出」

 80年代後半から90年代初頭、全日本ダートトライアル選手権やオールスターダートラといったビッグイベントにおいて、そのたたみ掛けるような名調子でギャラリーを沸かせ会場を興奮の坩堝へと叩き込んだ一人の名物実況アナがいた。その名は柳川正道(敬称略で失礼します)。  AUTO SPORT編集部辣腕編集者(ペンネーム:有畑稔「ありはたみのる=アリ・バタネン」)から千葉市役所職員へ。公務員と実況アナという二足のわらじでCCCR横倉正道氏と共に日本ダートラ界の発展に貢献し、その歴史に多

エッセー 「80年代懐かしのテレビ番組 "Do!スポーツ" ダートラ編 & ジムカーナ編 "」

 「Do!スポーツ」は、1983年~1990年まで毎週土曜日23時30分から24時の30分枠(放送開始当初の1983年1月~3月の期間は毎週日曜日11時30分~12時の30分枠)にテレビ東京系列で放送されていた参加型スポーツ番組である。  番組中で取り上げられるスポーツは「モータースポーツ」や「マリンスポーツ」、「スカイスポーツ」、「シューテイング(射撃)」、「フィッシング」、といった " ニッチでマニアック " なものが多く、二人の女性アシスタントがエキストリームスポーツ