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緑の向こう側

畳屋の息子である僕は、まろやかな「い草」と毒のある機械オイルの匂いに包まれて育った。小学校から帰ってくると作業場の隅っこで父の仕事をずっと眺めていた。
ヘリを自動で縫い付ける機械から木製の平台へ畳を下ろすと、父は太い針を握り糸を咥え、端の部分を丁寧に手縫いしていく。
時折手を休め、床いっぱいに散乱したい草の上で煙草を吸う。古びたラジオからは毎日同じ番組が流れていた。
「コーヒーを飲みに行こうか。」
僕はその言葉をいつも待っていた。軽トラの助手席に飛び乗り、馴染みの喫茶店へ向かう。そこでメロンソーダを飲みながら父と話すのが大好きだった。
三代続いた畳屋を継ぐ事なく18歳で実家を出て、しばし放浪の後、結婚式場に就職した僕はやりがいのある仕事に熱中し多忙な日々を過ごした。ゴミひとつない華やかな施設、美しい生花の香り、幸せそうな新郎新婦。
父が友人と出掛けた旅先で急死した。病気とは縁のない父の突然心停止。取り返しのつかない後悔に僕は押し潰された。自宅葬の準備は作業場に広がるい草の掃除から始まった。
メロンソーダの緑の向こう側で映画の話や小説の話をする父はとても魅力的で、色んな世界を教えてくれた。
「安定を取るか自由を取るか、俺は自由を選んだんだな。」
父は高校卒業後、百貨店に就職したが祖父が体調を崩した為に退職。家業である畳屋の仕事を覚えた。もしかすると、覚えさせられたのかもしれない。自由を選んだというのは、父なりの正当化だったのではないかと思う。
ランドセルと一緒に帰ってくる僕を待ち、映画館へと急ぐ。一緒に川魚を釣って七輪で焼く。全く興味のない将棋を無理やり教えてくる。
いつも仕事を切り上げ、僕と過ごしてくれた。
父の急死から11年。今、僕の横には1歳の息子がいる。
実家の和室で転がる息子の下には父の作った畳が敷かれている。煙草の煙と機械オイルの毒を抜いた、どこか物足らない「い草」の匂いがする。
父が息子を抱いてくれた。

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