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すっぱいブドウに頼らずに

大抵のことは食べて眠れば忘れるし、または人に話して昇華させられるんですが、そんな私が三日ほど落ち込んだ話を。

「自分のまわりを下げることで、自分を際立たせようとする発言」
取材音源からインタビュー記事をまとめていると、けっこうな高確率でこんな場面に遭遇します。例えば、○○さんのやり方はマズいとか、○○社は○○がだらしないなど、そこまで辛辣ではなくても、ある出来事を揶揄し、「だから私(わが社)は優れている」と、暗に言いたい、もしくは取材者に言ってほしい。気持ちの良いものではありませんが、ある意味人間らしいと聞きながら、私はサラリとメモを残します。ひとはどうしたって、自分を良く見せたいですよね。今、頑張っている自分、仲間たち、会社を際立たせたい、目立たせたい。それが何かの媒体に載るインタビュー記事なら、なおのこと。

しかし、記事に書き起こす時は決してそのままで文章にしません。使わずに記事が完成するのなら使いませんし、その場面があった方が構成として盛り上がるのなら、どうにかしてエッセンスのみを抽出します。前後にあった話題に交えたり、視点を変えたりして、発言者が他者(他社)をネガティブ表現していないように文章で操作するのです。もちろん、ありのままが好まれる依頼の際は、そのようにします。ただ、私が手掛ける仕事では、そこまで極端な記事にする機会はほとんどありません。そのような場面を新人ライターさんが素直を書き起こしてしまったときは、「嘘にならない書き換え方法」をレクチャーし、インタビュイーが悪者にならない文章に直します。まわりを下げて自分を良く見せようとしている……そんな風に読者が受け取るおそれのある文章はNG、それなら、自身がどれだけ優れているかと話すような、威勢のよいキャラクターとして際立たせる方が面白いよと。とはいえ、謙虚が好まれる風潮があるので、そこまではなかなかできないのですけども。

先日、受験生むすめと話していたところ、友人Aちゃんが志望校に迷っているという話題になりました。候補は二校で、ひとつはむすめの志望校です。その友人Aちゃん。賢くて快活で、むすめが1年生の時から仲良く、そして頼りにしていた子です。むすめの志望校は通学にやや時間がかかるので、共に通学ができたらなんと楽しいことか。親の私まで、まだ終わってもいない入試を飛び越えて、ふたりがお揃いの制服で電車に乗る姿を想像してしまいました。
「わたしね、Aにプレゼンしてこようと思って。あ、もちろん、うるさくは言わないよ。決めるのはAだからさ」と、むすめ。あまりにうれしそうに話すので、私もどれどれ加勢でもと思ってはなった言葉が、余計でした。これが、三日落ち込む原因となったのです。

「あっちの学校の子たちはちょっと派手だし、Aちゃんには合わないんじゃない」

私は何も考えず、むすめの志望校とは違う学校に対して、そのような表現を。私の言葉を聞いた娘は間髪入れずにあっけらかんとこう言いました。「お母さん、それはダメでしょ。Aはそっちも行きたいなって迷ってるんだから。行きたいと思ってる学校を悪く言われたら、腹が立つでしょ。だからこっちの良いとこを伝えないと」と。
まさに、私が冒頭のインタビュー記事で偉そうに講釈をたれた、それでした。自分が恥ずかしくなりますね。「言葉の持つ力」を知っているからこそ、その力が人を傷つけないようにと文章を作り続けてきたのにこの有様です。この話はそれ以来話題に上っていませんが、その後、思い出すたびに私はひとりで「うおおおおおお!」と悶絶し布団かぶり(イメージ)をばっさばっさと繰り返し、猛省を。

「すっぱいブドウの話を借りない」
もう二月ですが今年の目標をもうひとつ追加しよう、と心に留めた立春でした。おにはそと。


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