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花の思い出。それはカルチャーショックと共に 【500字コラム】

私がヒガンバナの本物を見たのは、大人になってから。


多摩川のほとりに群生するヒガンバナを見て、なんて美しいのだと息を飲んだ。ヒガンバナは、土手の雑草が夏の雄々しさをなくしやや元気をなくす秋、いっせいに花を咲かせる。

結婚して関東に移り住んだ北海道育ちの私は、その光景を見て「これがあの、ごんぎつねのヒガンバナ」とみょうな感心を。


もともと、何かがずれていた。
北海道では桜は5月に咲くもので、コスモスは夏休みの夕暮れに見かける花。短い夏を精一杯楽しもうと肌寒い夜に花火を握る子どもたちのその横で、照明のように薄紫の可憐な花が揺れていた。

子どもの頃の私にとって「入学式に桜」は「クリスマスにチキン」のような、商業用のテンプレートにすぎないものだった。

それがどうだ。

多摩川沿いの町で暮らすようなって、私は季節の移り変わりの光景に感激する。

真新しいランドセルを背負ってあるく子どもたちの頭上を桜の花びらが舞い、夏は日が暮れても蒸し暑く、秋にはトンボが飛び交いコスモスが揺れ、冬にはセーターにマフラーだけで外を歩く人がいた。

本や映画で知った光景が、そのまま日常に。
「日本の基準」はココ東京。私が「普通」だと思っていた北海道での暮らしは、日本のソレとは大きくかけ離れていた。

人生最大のカルチャーショックだった。

「秋桜」
そしてこの可憐な漢字に心から納得したのは、娘をお腹に宿した29歳の秋だった。










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