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まちの喫茶店、岡山珈琲館の雰囲気をみなさんにも

「こうやってな、石川祐希くんを見るんよ」
「この子、もうイタリアじゃけえの」
「そう。でもスマホならすぐ見れるんよ」
「そげな便利なんか」
「カラオケもするんよ。これで」
「曲がながれるんか?」
「ほれ、こうやってな。百恵ちゃんもすぐに出る」
「わたしゃー、ようせん。テレビつける」
「テレビは時間が決まっとるから…」
「ようわからん。テレビでええ」
「スマホで好きなもの見たらええのよ。な?」
「時間とか番組とか気にしなくてもええのんよ」

テーブルを囲むご婦人3人組。

スマホがどんなに便利なものか、推しメンの画像を披露して熱弁するひと、スマホは所持しておらず「よくわからん」と匙を投げるひと、使ってみると便利なものよとその場を仲介するひと。


またあるテーブルでは、店員さんがコーヒーで一服する常連さんらしき紳士ふたりに声をかけている。

「今日は会えないかと思いましたよ」
「用事が長引いたんじゃ」
「雨があがって良かったですね」
「おかげで歩いてこれたがの」
「膝の調子はどうですか」
「今日はえらいわ。雨のせいか」
「転ばないでくださいよー」

店員さんはしゃがみ込んで顔をテーブルの高さにし、下からお客さまを見上げるかたちで話を続ける。従業員がしゃがみ込んでお客さまと話す様子は、喫茶店ではなかなか見ない光景だ。けど、そんなやりとりに目くじらを立てるひとはなく、のんびりとした空気がコーヒーの香りと共に、店内を優しさで充足させていた。


ぼくはタブレットを開き、店内のWi-Fiに繋ぐ。仕事に入ろうと思って用意をしたが、運ばれてきたブレンドコーヒーの湯気に鼻をくすぐられ、まずはひとくち。

ああ、うまい。

15年ほど前は、アメリカ発祥のコーヒーショップの紙コップを持ち歩くことに優越感があった。当時連れ合いが楽しんでいたアメリカのドラマでは、キャリアも富も手にした、でも恋に不器用なヒロインが颯爽とオフィスにコーヒーを持ち込む姿が眩しかった。

しかし他のコーヒーショップの追随、そしてコンビニコーヒーの台頭により、暮らしの中で「レギュラーコーヒーを買う」が、かつての「缶コーヒーを買う」と同等になりつつある。

その手軽さのあまり惰性で買ってしまうきらいもある。用を足すために立ち寄ったコンビニでコーヒーを買って車に戻ると、カップホルダーに差さる飲み終えていないカップを見てがっかりすることもしばしばだ。休憩のつもりで買ったコーヒーがみるみる色褪せ、ちっとも心が休まらない。

ぼくは手元にあるカップを引き寄せ、薄い飲み口を楽しんだ。マグカップとは違う繊細なデザインのカップ&ソーサーに満たされたコーヒーは、紙コップに慣れきった唇に贅沢な感触もたらしてくれる。

カップの向こうに行儀よく佇むミルクピッチャーは、とても上品なフォルム。連れ合いがかつて買い求めたものの、「使う機会がない」と嘆いて食器棚の奥に仕舞い込んだそれにとてもよく似ていた。

家でカフェオレをするなら、牛乳パックから直接マグカップに注いでしまうのが日常だ。ぼくは軽くコーヒーを撹拌してから、ミルクピッチャーでとろりとしたクリームをカップに注ぐ。明らかに自宅で使う牛乳とは違う濃いミルクが琥珀の表面にまあるく広がり、ここでまた贅沢心をくすぐられた。


と、そこで隣席の初老男性の携帯電話が鳴り響く。上下作業服をまとい、どうやら仕事の休憩中のようだ。

「はいはい。それな、こっちから電話する言うといて。かなわんなあ、携帯電話持っとると、これがコーヒーもゆっくり飲めん。ははは。よかろうが休憩くらい。はいはい。ああ、はい」

男性が電話を切ったところで、店員さんがさりげなくグラスに水を。

「今日もお忙しいんですね」
「かなわん。休憩もできんが」
「ごゆっくりどうぞ」

なんだかすごいぞ。ここの店員さん。先ほどの常連さんとの会話しかり。無意識かもしれないが、客の行為をまるごと許容しているかのような一連の対応に、ぼくは唸った。

いつの頃からか「通話は外で」が世の中の常識になった。ただ、いつも思う。人前で電話で話す行為はそこまで周囲に迷惑なものなのだろうか。

チェーン店のカフェは、常にざわついているものだ。でも、カフェで待ち合わせ場所の確認通話をするサラリーマンには冷ややかな視線が投げられる。
電車の中で、口元に手を当てて申し訳なさそうに通話をする若い女性は、聞かれたくない話ならまだしも、家人に探し物のありかを答えている模様。普通の音量で話せば、とりたてて迷惑な行動でもないだろう。

マナーとは、決して「常識」ではないのに。携帯電話がない生活は考えられない。けど、何かと窮屈な場面に遭遇するのも事実だ。


と、再び横のご婦人たちが賑やかになった。年金とご家族の話から話題は再度スマホのことに。

「ストレージがな、いっぱいですって出るんよ」
「孫が無視したらええって」
「すと…?」
「なんかスマホの中がなぁ、いっぱいらしい」
「使えなくなるんか?」
「でもな、放っておきゃあいい。石川祐希くんはいつでも見れるが」
「イタリアにいるんじゃろ?」
「だからいつでもYouTubeで流れてる番組で見れるんよ」
「テレビでええが」
「YouTubeはいつでも見れるんよ」
「好きなときに、好きなものが見れるんよ」
「これで好きなことしたらええんじゃ」

来店時の話題を繰り返す三人に、ぼくは吹き出しそうになった。

そうそう、好きにしたらいい。好きに使ったらいい。スマホも、喫茶店も。

「どうぞ、ごゆっくり」

隣のブースから聞こえる店員さんの声が、何もかもを適度に許してくれるようだった。


心地よい喧騒に促されて、ぼくはもう一杯コーヒーをオーダーする。メニューにある「二杯目以降半額」の文字が嬉しい。これは少々の長居も許してくれる証と都合よく解釈し、さて仕事のメールを返すかとタブレットに向かう。

岡山珈琲館のそのご厚意に甘えて、ぼくは満たされた秋の午後を過ごした。


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